「味園ユニバース」を観た

渋谷すばるさん主演の「味園ユニバース」 を観ました。今の心境をひとことで表すとですね、ポチ男ロスです。(ポチ男ロスなのか茂雄ロスなのかはひとまず置いておいて)

わたしが約100分間観ていたのは、「演技の上手い渋谷すばる」ではなく、「ポチ男であり茂雄」でした。これから先、渋谷すばるを見ることはあっても、ポチ男に会えることはないというのが切ないです。ポチ男がこの世のどこかで息をしているんじゃないかと信じたい。それぐらい、ポチ男は生きた一人の男でした。

 

見た感想を残しておきたくて書きます。自分の中の「味園ユニバース」を薄めたくなくて、公式のキャッチコピーやプレスリリース、予告ですらも観ていません。もちろんレビューや感想も。そんなこんなで、ちょっと解釈がおかしかったり、間違っていたりするかもしれません。わたしが見た味園ユニバースです。わたしの手垢でぎとぎとな味園ユニバースです。ご承知おきください。基本、記憶に残った好きなシーンベースで書きたいと思います。ネタバレありです。

 

すばるくんの可愛かったところをまとめたネタバレほぼなしverはこちらです。

shinmai.hatenadiary.jp

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すいかの種を飛ばすポチ男とカスミ

茂雄の働いていた工場と実家に行き、彼が傷害事件を起こしたことを知って帰宅したカスミに対し、記憶が戻りつつあるポチ男が「あんな、ちゃんとは思い出されへんのやけど、俺は危ないと思う。」と告げる。そんなポチ男に、ポチ男の働いていた工場は跡形もなかった、ポチ男の過去についてなんの手がかりも得られなかったとカスミが嘘をつくシーン。

それまでのどことなくぼんやりとした感じから、徐々に感情を見せるようになっていくポチ男。彼の過去を知りながら、それを知ったことを悟られまいとするカスミ。とりたてて幸せでも不幸せでもない日々が、もしかしたら変わってしまうのかもしれないと感じさせられた。

そんな中、すいかの種を飛ばすカスミ。「あんたも飛ばしてみぃ」と、ポチ男にもやらせるカスミ。カスミはポチ男にもすいかを食べさせること、種を飛ばさせることで、あえて"なんの変哲もない"日常を作ってくれたのかなと思う。「あんたも飛ばしてみぃ」と言われてポチ男は救われただろうな。自分は危ないのかもしれない、してきたことをしっかりと思い出せないという漠然とした大きな不安の中、それでも日常の中に置いてくれる人がいるということ。

競うように種を飛ばす2人が、とても愛おしく感じられた。(立ち上がって飛ばすポチ男かわいい…)

 

カスミの親指

茂雄の記憶が戻り、カスミの前で元の仲間ショウを一方的に殴りつけてスタジオを出て行った後のシーン。裏の雇い主タクヤに仕事をもらいに行った後、ベンチで座る茂雄の前に、彼が置いていった荷物をまとめたカスミがやってくる。「ライブ、今日やで」というカスミに、「そんな金にならんもん全然意味ないわい」と言う茂雄。「あんただけには言われたくないわ」「ほな帰れや」そしてカスミが茂雄を殴る。

このシーンでは、指を一本一本ゆっくりと開いていったカスミが、ぎゅっとそれを握りしめて、茂雄に向かって突き出すところが印象的だった。その前に、4本指を立てて「うちの世界はこれだけで足りんねん。おじい、スタジオ、マキちゃん、赤犬」と言ったときには折られたままだったカスミの親指。茂雄を殴る前に他の指と同じように開かれた親指は、カスミにとっての世界の5つ目の要素(ポチ男)を意味していると思った。初めは「赤犬に必要なだけ」だったポチ男が、それだけで1つの必要な要素になりつつあったのではないだろうか。それは、未来しかないポチ男とは逆に、過去しかないカスミが久しぶりに見つけかけていた1つだったのではないか。その5つをぐっと握りしめて、カスミは自分の気持ちを茂雄にぶつけたかったのかもしれないと思った。

 

タカアキという存在

映画の中では、タカアキについて多くは語られなかった。だけど、この映画を考える上で、タカアキは非常に重要なピースの1つであると思う。タカアキは、バンド「赤犬」のボーカルで、仕事中に全治2ヶ月の怪我を負う。その結果、ポチ男にボーカルの座を奪われることとなる。

もちろんタカアキがライブに出れなくなったのは、自分が怪我をしたせいである。それが元の理由とはいえ、ボーカルをポチ男に取って代わられる。そして、ボーカルが変わったことだけが理由ではないにせよ、その後メンバーはやる気になる。タカアキが主役の物語だったら、大きな屈辱、挫折だろう。

印象に残っているシーンがある。ユニバースでのワンマンライブが決まったことを、カスミが赤犬メンバーに伝えたときのこと。異議はないかを聞くカスミに、ざわつくメンバー。タカアキは手を挙げていた。自分が歌いたいのだと伝えたいのだと思った。だけど、誰もそれに触れることはない。異議はないな、というカスミによってその場は閉められれる。そして、できたワンマンライブのポスターは「稀代のニューカマー」、ポチ男だ。

だが、スタジオを出て行ったポチ男はライブ当日、ユニバースには現れなかった。このユニバースでのライブのシーンでは、彼の歌っているときのいきいきとした表情と、茂雄を見つけたときの虚無の表情の対比が素晴らしかった。そして、ダイブ。(劇中では、観客の悲鳴と「タカアキさんがダイブしました」というスタッフ、スタッフに運ばれてくるタカアキの姿が映るのみで、ダイブのシーンは無かった)初めは、なんでダイブしたんだろうと思った。メンバーもあっさりしたもので、なんで今するん、ポチ男準備しとけよ、という程度。だが、その後茂雄が歌う姿を見て思った。タカアキはボーカリストとして茂雄に自分の場所を譲ったのだと。きっと、嫉妬とやるせなさと尊敬とともに。葛藤を抱えながら、彼はダイブしてしまっていたのでないか。

タカアキは初めの1回以外、自分が歌いたいと声に出して言うことはない(言ったときもカスミに松葉杖を蹴られて転んで終わった)。ダイブしたときの表情も分からない。だが、多く語らないことが、かえって彼に大きな存在感を与えていると感じた。

 

カスミの「しょうもな」 

カスミはよく「しょうもな」と言う。マキちゃんの名前を出すと喜ぶ医者に対し、ポチ男の面倒を見る自分を「お母さん」と言ってくるマキコに、そして、指長いなと手に触れてくるポチ男に…。本当にしばしば「しょうもな」と言う。そしてこの映画の最後も、カスミの「しょうもな」で幕を閉じる。

カスミはほとんどの場合、眉間に皺を寄せた不機嫌な顔をしている。例えば、驚くシーンや悲鳴をあげるシーンもなかったと思うし、逆に大喜びするシーンや大泣きするシーンもない。全体的に外に見せる顔は温度が低く、いつも淡々と話す。

しかしラストで、ユニバースで歌うポチ男を見てカスミは笑う。堪えきれずといったように顔を綻ばせ、「しょうもな」と言う。

野外ライブに乱入してきた挙句倒れたポチ男を自分のスタジオに連れ帰ったシーンや、元の仲間から茂雄を救い出してユニバースに連れていくシーン等。いくらカスミといえども一悶着あった(感情を見せた)だろうと思われるシーンは、意図的にかそうでないかは分からないが描かれていない。だからこそ、このカスミの笑みが、深く深く印象に残った。

 

『古い日記』

言わずと知れた和田アキ子さんの名曲。(「ハッ」好きとしては見逃せない)劇中でしばしば出てくるこの映画を構成する重要なもののひとつだ。

ポチ男は、夜中にカラオケでこの曲を歌い、自分にはこれだけしかないと言う。茂雄の義兄も、茂雄のことを聞きに来たカスミに対し、茂雄のものはこれ(茂雄の父が歌う『古い日記』と、歌い終わった後の父と茂雄の会話が入ったカセットテープ)だけだと言う。茂雄とポチ男のどちらにとってもこの曲しかないわけだが、それが持つ意味合いは茂雄にとってとポチ男にとってでは異なっていると思う。

茂雄にとっては、お父ちゃんとの思い出。歌手になるという思い。だが父の死後、茂雄は荒れ、それを捨てて(=家に残して)家を出てしまう。

ポチ男にとって、この曲は初めは過去の自分との繋がりだった。だがその後、この曲には新たな意味が追加されたと思う。カスミが持ち帰ったカセットを、おじいが勝手に流していたのを偶然耳にし、ポチ男は記憶を取り戻した。このとき、おじいはカセットに入った茂雄と父の会話を聞き、「お父ちゃんの言う通りやな(=人が何かを始めるのに遅いということはない)」と言う。この言葉により、ポチ男にとってこの曲は、人はいつでも変われるという意味合いを持つものになったのではないかと思う。(後述しますが、記憶を取り戻したとき、彼はまだ「茂雄」ではなく「ポチ男」だったとわたしは考えています)

 

ポチ男と茂雄

記憶を取り戻したポチ男は、おもちゃの銃を持って自分の子供、マサルのところへ行く。このとき、彼はまだ人はいつでも変われると信じる「ポチ男」だったと思う。姉に「俺は変わったんや」と言うポチ男。それに対し、「刑務所に入ったくらいで変われるならわたしも入りたい」と返す姉。ポチ男はきっと、刑務所の中でではなく、「ポチ男」として暮らす中で自分は変わったと思っていたのではないだろうか。激しい応酬の中、「そんなに嫌なら(豆腐屋を)辞めたらいい」というポチ男に、姉は「あんたは何も変わってない」と言い放つ。全てを捨てた「茂雄」のままだ、と烙印を押される。その後、誰もいなくなった店先に茂雄は立ち尽くす。彼にとって、やはり自分はポチ男ではない、茂雄だったのだと思わされた瞬間だったのではないだろうか。

その後、カスミが「ポチ男」と言う度、彼は「茂雄や」と律儀なほどにしっかりと返す。自分はやはり変われなかったのだ、そんなに世の中は甘くないと、自分自身に言い聞かせている言葉に聞こえる。

顔を洗い、鏡を見ているシーンも似ている。茂雄が鏡を見るシーンは2度ある。1度目は襲われた後。血を洗い流し、鏡で自分の姿を見て「誰や」と呟く。2度目は昔の仲間と仕事をしに行く前。彼は何も言わず、鏡を睨む。言葉はないが、胸の内で「誰や」「茂雄や」と自分に言い聞かせているようにも見えた。

茂雄が元の仲間に嵌められたことに気づいたとき、カスミは彼女自身のために茂雄を救い、ユニバースへ連れて行った。タカアキが歌えないとなったとき、カスミは言う。「こっからはあんたが決めろ」この言葉には、歌うかどうかは茂雄が決めろと言っているだけではなく、ここから先どう生きていくか決めろと言っているようにも捉えられる。全てを捨て、ドブのような血の臭いをさせる茂雄として生きるのか。人は変われると信じ、大切なものを一つ一つ増やしていくポチ男として生きるのか。

そしてしばらくの逡巡の後、茂雄は歌う。ポチ男として生きることはできなくとも、ポチ男のように生きたいという気持ちの表れではないだろうか。圧巻の歌声はさすがだった。(あと個人的には、茂雄が1番すばるくんになっていたシーンだと思った)

 

その後の茂雄

(※多分に妄想です。根拠一切なしのやつです。)

わたしは、茂雄が赤犬のボーカルとして歌ったのは、あの2回で終わりだと思う。

茂雄は、あのとき赤犬に必要だった。ライブに出るため、メンバーのやる気を出すため。赤犬を完璧にするために必要だった。だが、本当の意味で赤犬を完璧にするためには、そこにはタカアキが必要だ。

カスミはポチ男ノートの「記憶が戻りつつある?戻ったら」と書いた部分をタカアキの写真で上から隠していた。戻ったら、いなくなったら。きっとカスミはポチ男がいなくなることを考えたくなかった。だけど、元を正せばポチ男はいなかった人。いなくなったら、元に戻るだけ。赤犬のボーカルはタカアキに。それを自分に言い聞かせるためにも、カスミはタカアキの写真を使ったのではないか。

そして、カスミも茂雄を説得するシーンでは認めていた。茂雄に歌ってほしいのは、「ただ単純にうちが見たいだけや」と。赤犬のためにも茂雄が必要だが、何よりも自分のために茂雄が必要であるという気持ちが隠されていると思う。

それが恋なのか、家族に向けるような愛なのか、なんなのかは分からないけれど、きっと赤犬で歌うことが無くなっても茂雄は急にカスミの前から消えはしないと思う。カスミの世界の5つ目として、ずっとカスミの側にあってほしい。なんの根拠もないけれど、そうじゃないかな、そうだといいなと思う。

 

 

セリフが少ないからこそ、ずっしり刺さるのが多かった。 すばるくんが愛しかったシーンについては、また別でもっとライトに書きたい。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。読書感想文並みに書いたな?

さーて予告編とかインタビューとかレビューとか見ちゃおっと!

以上、新米でした🌾

 

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