無限の青へ

 

 

「自担」という言葉が嫌いでした。

 


ジャニーズ沼に片足を突っ込んで間もなかったあの頃、自担って日本語としておかしくない?と悶々としていたな。でもその意味を頭で理解するより前に、感覚として理解するようになっていきました。「この人が自担だ」と。気づけばあなたのことを自担と表現するようになっていました。

 

安田章大さん。

 

忘れてもらえないの歌の観劇をもって、わたしは安田担を降ります。
そもそも一途な女ではありません。これまでさんざん複数のジャニタレに愛を注いできた自覚はあります。東にかわいい男あれば行ってキャーキャー騒ぎ、西にオモロい男あれば見てゲラゲラ笑い、好きなものを好きなときに摂取し、縛りもせず、縛られもせず、そういうオタクでした。そんな骨の髄までDDのわたしが今さら何を?という感じではあるのですが。それでも、これまでずっとわたしにとって自担と呼びたい存在は、安田くんただひとりでした。

 

安田くんに落ちた日のこと。あの胸の高鳴りは今もはっきりと覚えているし、きっといつまでも消えることなくわたしの中に残り続けるでしょう。関ジャニ∞のことが気になり始めて、ほとんど見たことがなかった音楽番組を初めてリアタイして。そこで目を奪われた。それは、間違いなくわたしの人生における決定的瞬間のひとつでした。見る前はほぼノーマークだったのに、キラキラの笑顔で踊る安田くんから何故だか目が離せなかった。ぼんやりと眺めていた夜空に、突然星が流れたような、そんな感覚。それまでジャニーズとは縁遠かったわたしにとってその感覚はとても鮮明で、ある意味衝撃とも言えるものでした。

 

それから今日に至るまで約2年。思えば関ジャニ∞にとっても平坦ではなかったであろうこの2年ですが、わたしは本当にめちゃくちゃ楽しかった。円盤が出る日を指折り数えて待つことも、気づけば身の回りのものが青ばかりになることも、大切なお知らせを聞いて目の前が真っ白になることも、時間をかけてああでもないこうでもないとレターセットを選ぶことも、上ハモばかりを覚えてしまうことも、どれも安田くんに出会わなかったら経験しえなかったかもしれない。安田くんを、そして関ジャニ∞というグループを追いかけることで、これまで味わったことがなかったこんなにたくさんの感情を知ることになるなんて、会ったこともない誰かの人生にこんなに心を揺さぶられるなんて、思ってもみませんでした。

 

自担ってなんなんだろう、と近頃ずっと考えていました。自分が好きで、応援しているメンバーのこと。それだけだとこの言葉に付与されている微妙なニュアンスを説明しきれていない気がして。そのニュアンスは明確に定義されているわけじゃなくて、人によって少しずつ違う。だからきっと、自担という言葉の意味はオタクの数だけある。では、わたしにとって自担とは?わたしは何を以って自担を自担とする?

 

安田くんのことをあまり追いかけなくなってしまった自覚はありながらも、しばらくは安田担を名乗っていました。自分が担降りするなんて考えたこともなかった。というより、考える俎上に載せたことすらありませんでした。安田担であること。それはすでに、ジャニオタであるわたしにとって最も重要なアイデンティティのひとつだったから。でも、自分にとっての自担の定義について考えるうちに、もしかしたら、という思いが芽生えてきました。もしかしたら今の安田くんは、今のわたしが思う「自担」の外側にいるのかもしれない。

 

そんな心境の中迎えた、2019/10/19。忘れてもらえないの歌。
観劇前はそれを観た自分がどんな感情を抱くのか予想もつかなくて、怖かった。もし、安田くんに対してなんの特別な感情も持たなかったら?そのときはもうおしまいなのかもしれないなんて考えて、どうすれば良いのか分からなくて、逆に落ち着いていた。
幕が上がってしまえばそんなことを考える暇もなく、シーンの一つひとつ、音楽の一つひとつ、そしてそれを包括する物語に圧倒され、魅了されている自分がいました。わたしはストーリー性のあるものを観るとき、その物語に没入する(役者と役を完全に切り離して観る)タイプなので、滝野さんを観て安田くんを感じる暇もありませんでした。それが、第一幕のラストの滝野さんの歌を聞いて、安田くんがブワッと押し寄せてきた。バンドを牽引して、その声でその場の空気も観客の心も震わせている安田くんの姿がどうしようもなく美しくて、圧倒的で、涙が止まらなかった。
「ああ、これがわたしが好きになった人だな」
わたしが好きな人、ではなく。好きになった人だなという思いが、それを観てごく自然に生まれたのです。そこで、安田担を降りるときが来たのだなということを悟りました。

 

わたしは、忘れてもらえないの歌という舞台が本当に好きでした。ストーリーも、音楽も、台詞も、キャストも、その他すべてを含めたあの世界を愛しています。出会わせてくれた安田くんには感謝しかありません。
そして安田くん。その世界で滝野亘として生きる安田くんが大好きで、誇りに思いました。

 

こんな言い方をするとおかしいけれど、忘れてもらえないの歌で安田担を降りられることを、とても幸せだなと思います。もしこの機会がなかったら、なんとなく心が離れて気づいたらもう、ということや、いつまでも心にとげが刺さっているような気持ちでいるということも普通にありえた。それが、自分が愛した舞台で、主演を張った安田章大を見て決断できた。この巡り合わせに、心から感謝しています。

 

これまでも、これから先も、安田くんがわたしにとって特別な人であることに変わりはありません。でも、ここでわたしと安田くんの第一幕を閉じようと思います。

 

 

死ぬまで一生あなたの信じる安田章大であってください。