アウトプットをするということ

もともとモノを書くことが好きで、とりとめのないことを考えることが好きだったのだけれども、最近(といっても数年単位で)全然アウトプットできてないなあなんて思ってた。

「今年の目標は、インプットとアウトプットのバランスをとること!」なんて言ってみたり。

それでもなかなか、やっぱりアウトプットは少ないままだったり。

 

時間がないから?

(テレビ見たり、楽器弾いたり、寝たり、好きなこといっぱいしてるじゃん?)

インプットが足りない?

(いやいや。それはありえない。だって好きな人たちのこと、それに関わること、こんなに見たり聞いたりしてる)

筆不精?

(まあこれはあるんだけど、でも書く気がないわけじゃない)

 

なんでだろう?って考えてたけど、これはあれだ。

 

”スキマ”が足りないんだな。

 

インプットして、インプットして、インプットして、それを処理しきるスキマがないから、アウトプットに心が回らない、いつまで経っても何も出てこない。

アウトプットってしようと思ってするものじゃなくて、あるときふっと自然に出てきて止まらないものだもんなーなどと今更思ったわけです。

この、”あるとき=スキマ”が現状無いんだね。

すぐ自担のことを出しちゃうオタクだけど、多分安田さんのような、アウトプットができる人はスキマを作るのがうまいんだろうな、うまそうだもんな、とひとり納得。

 

だから、今後はインプットとアウトプットのバランスを意識するんじゃなくて、インプットとスキマのバランスをとれるようになりたいな。

音楽を聞かずに散歩とか、本や携帯をみないでカフェとか、してみたりね。

 

そんな今日のなんてことない空です。

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