ほかほか新米

やすすに背伸びしてキッスされたい人生

安田章大さんのどこが好きですか?

例えば人からこう問われたとしたら、わたしは数多ある理由の中でも早い段階で「安田さんの書く文章が好きです」と答えると思う。もちろん入りはビジュアルだったり彼の作った曲だったりで、むしろ初めは安田さんの書く文章があまり得意ではなかったのだけれど。

わたしはこれまで、平均より少しばかり多めに本を読んできたと思う。それだからなのかなんなのか、文法や言葉の使い方がけっこう気になるタチだ。例を挙げると、よろしくお願いいたします、のいたしますを平仮名で書く人が好きだ。面倒くさいやつめ。そんなわたしは初めのころ、安田さんの文章に違和感ばかり感じていた。

コロケーションというと英語学習の場でよく聞かれる言葉だと思うけれど、日本語の世界にも相性のいい言葉の組み合わせはもちろん存在する。例えば「花びら」だったら、「舞う」「散る」。逆に花びらに対して「咲き誇る」を使うことは滅多にない。

このコロケーションが安田さんの文章には極端に少ない。それに気づいたのは、桜の写真とともにあげられたボク。を読んだときだった。そのことによる違和感は確かにある。安田さんの文章の違和感の一因と言えると思う。でも、それ以上に言葉のひとつひとつがその文章のためだけに選ばれたもののようだと気づいた。よくある表現や綺麗に見える言葉で簡単に丸めるのではなく、安田さん自身がそのとき選んだ言葉で伝えてくれるから、ほかの誰でもない安田さんの気持ちや考え方、見たものが伝わってくる。これは、これまで整備された文章ばかりを読んできたわたしからすればとても新鮮で、驚きに満ちた発見だった。それからというもの、レンジャーやボク。を読むたびにわたしの中で安田章大という存在が少しずつ立体的になっていくように感じていた。

 

4月、すばるくんの会見。安田さんの背中の怪我について明らかになった。テレビやその他媒体で安田さんの姿が見られなくなった。ボク。の更新も止まったけれど、それでもレンジャーだけは何事もなかったかのように続いていて。正直に言ってしまえばそれで安心できるなんてことはなくて、強気でいられる時と弱気になってしまう時が交互にやってきた。長い長い2ヶ月だった。

そして、7月2日。安田さんに何かがあったことを、TwitterのTLのざわつきから知った。一瞬目の前がぐらっとして、耳の奥からざわざわいう音が聞こえた。自担に何かがあるってこういうことなんだと初めて分かった気がした。慌てて調べると詳細は分からないまでも、良かった、ありがとうの声。とりあえず最悪の事態ではないらしいということは分かってもなお落ち着かず、ジリジリしながらメールを待った。

「いつも応援してくださっている大切なエイターの皆様にお伝えしたいことがあります」という安田さんの言葉を聞いて、心のざわめきは最高潮に達した。「安田章大の体調に関するご報告」とタイトルのつけられたそのメッセージ動画で、安田さんはこれまでのこと、これからのことを丁寧に話してくれた。

本当に本当に驚いた。背中の怪我よりももっと大きな何かがあるんじゃないかとは薄々気づいていた。だけど、その何かは想像を簡単に超えてきた。髄膜腫がなんなのかは正直よく分からない。それでも、大きなことだということは分かる。何も気づかなかったし、何も分からなかった。そして何よりも、わたしは髄膜腫を患う前の安田さんを知らない。

 

7月3日、久しぶりにボク。が更新された。もう更新されることはないんだと勝手に決め込んでいたから、嬉しさと少し怖さがあった。読んで、安田さんの強さと愛の大きさに心が震えた。今をなるべく包み隠さずに表現したいという言葉が、こんなに心に迫ってくることってある?安田さんが教えてくれる安田さんを、なるべく真っ直ぐに受け取って、それを信じていたいと思った。7月5日のボク。でもそれは同じだった。

そして同時に、絶対に安田さんに”病気をしたけれど頑張っている人”というレッテルを貼りたくないと思った。「病気をしたのに」「病気をしたから」その言葉で安田さんを分かったつもりになりたくない。済ませたくない。「病気」という言葉から自分が作ってしまうイメージに、安田さんを押し込めたくない。わたしは病気になる前の彼を知らない。もちろん病気になる前の文章を、考え方や感じ方を知らない。だからそう思うのかもしれないけれど。安田さんを知ってから日も浅いけど、少しは安田さんのことを知れたと思っているから。エゴ丸出しでもその知れた安田さんのすべてを「病気」というひとつでくくりたくない。もっともっと感じたままにいたい。もっともっと安田さんのことが知りたい。

もちろん、病気をして考え方が変わる、病気をしたからこそ見える世界はあるんだろうと思う。それをそのように安田さんが伝えてくれるのならば、素直に受け取りたい。だけど、受け手であるわたしが、勝手に判断したくない。なるほど、この時はこう思ってたんだろうね。こんなことがあったんだもん、こういう考え方にもなるよね。って、そう思うのは簡単だけど、それは嫌だ。

すごく勝手な考え方だなと思う。彼の思いには合わないかもしれないとも思う。そして、大きな病気をした、その事実を忘れることはできないけれど。

安田さんが頑張ってるからわたしも頑張ろうって、例え安田さんが大きな病気になってなくても思うよ。安田さんの強さと優しさと愛がとっても大きくて嬉しくて泣きそうになるけれど、それでも、だからこそ止まり木になってもらうのはどうにも疲れてしまってもう歩けない時だけにしたいよ、わたしは。

 

なんて、まるっきり深夜のテンションだけどお昼間でした。

ツアー、楽しみだな。安田くん、本当にありがとう。大好きです。