立ちはだかる困難に 光れヒューマンストーリー

すばるくんのジャニーズ事務所退所の公式発表が出て、今日で3日目。今、リビングで関ジャニ∞のアルバムを古い方から流しながら、この文章を書いています。

この記事は、お見苦しいところや矛盾もきっと多々出てくると思いますが、完全に自分のために残そうと思っていますので悪しからず。

 

わたしには夢がある。

それは、小学校の低学年のときに思いついて、この歳になるまでずるずると抱き続けてしまったもの。どうして夢を叶えたいか、その理由もしっかりあるし、やろう・やらなければという気持ちもある。でも、それに向かうための努力をしているのかと今問われれば、「していません」と答えるのが正解。

「いつか叶えられれば良い。今すぐでなくても」「夢が大きく曖昧になりすぎてしまった」「本気だからこそ、軽い半端な気持ちで取り組めない」

そうずっと思い続けてきた。だけど、今なら分かる。これは、全部間違いなく言い訳。少しずつでもそれに向かっていかなければ、このまま一生終わる。

 

先日、「ばしゃ馬さんとビッグマウス」を借りてきて観た。観ようと思ったきっかけは、安田くんが主演だから。それ以上でも以下でもなかった。

安田くんはコメンタリーで、どちらかの気持ちになって喧嘩のシーンを観るとイラっとするかもと言っていたけれど、わたしは天童にイラっとした。それは、馬淵さんの気持ちになって観たからじゃなくて、多分わたしが天童に似ているから。やればできるんだって心から信じてる。でも、だからこそ取り組めなくて。まだ一つも完成させていなくて。そんな天童のことがよく分かるからこそ、何もやろうとしない彼がウザかった。

1度目観終わったとき、すこし退屈だったなと思った。「わたしはもっと分かりやすく、未来に向かって進んでいく物語が好き。諦めないのが好き」そう思った。

でも、2回り目を観た後、心に柔らかい棘を確かに押し込まれたみたいな気持ちになった。「わたし自身はどう?」1回目退屈だと思ったのだって、本当は「そんなに上手く変われるもんじゃない」って心のどこかで思っていたからかもしれない。「本気のことにほど、軽い気持ちでは取り組めない」なんて言って。戦わないで逃げる。観ているときは気づかなかった。そういえば、天童は「逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ」って言っていた。やっぱり変わる前の彼はわたしに似ている。

わたしも、天童義美みたいになれるだろうか。なりたい。そう強く思った。

 

その矢先に飛び込んできた渋谷すばる脱退の知らせ。4月12日木曜日。初めそれを見たときは、そんなわけないと思った。「バラエティー路線が嫌?昔の曲を歌いたくない?え?そんなわけない」いつもあんなに楽しそうに下ネタを言い、自ら被り物を被っている彼が。つまらない時にはつまらない顔をする彼が。

だけど、「そんなわけない。すばるくんは絶対にいなくならない。ガセだ」とは言えなかったし、言いたくなかった。ミュージシャンとしてやっていくためグループを抜けたいというのが本当に彼本人の意志ならば、それを否定したくないと思った。

 

だけど、それが徐々に苦しくなった。「そんなわけないじゃん!フ●イデーはすばるくんの何を知ってるの?あんなに関ジャニ∞への愛にあふれた人だよ」と手放しで思いたかった。通勤電車でへそ曲がりを聞いて少し泣いた。この頃から、自分の中にある覚悟を少しずつ固め始めた。母と何度も話した「”絶対”なんてない」

 

4月15日日曜日。「大切なお知らせがあります」メールを受信。「ああ、来たな」と思った。出かける前だったから準備を早く済ませて。11時になってすぐにサイトにつないだけど、もちろんつながらなくて。でも、SNSじゃなくてまずは本人の言葉で知りたいと思ってつながるのを待った。

お知らせを読んだとき、涙は出なかった。事実を事実として受け止められたし、割と冷静だった。

それから、メンバーからのメッセージがあって良かったと思った。

関ジャニ∞を好きになってすぐの頃から、全員のことが大好きだった。7人個人個人も好きだったし、みんなの関係性が好きだった。グループが結成された以上、いつか解散があるのは当然のこと。だから、解散の日まで、全員で走り抜いてほしいと願っていた。誰かがいなくなって、見られなくなるのが嫌だったし、それによって残るメンバーのことを想像したくなかった。だけど、メンバー一人一人の言葉を見て、この人たちについていこうと、自然に思えた。

そして、すばるくんの言葉。「eighterとして」というよりは「わたし個人として」、渋谷すばるという人は、なんてかっこいいんだろうと思った。綺麗事を言うようだけど、退路を断って夢に向かうという選択をしたことに対して尊敬で震えた。失うものなんか何もないわたしがいつまでも動き出せずにいるのに、すばるくんは関ジャニ∞という、ある意味「出来上がった」場所を出てでもやろうとしている。惰性に引きずり込まれずに。そこに至るまでにどれだけ悩み、考えただろう。それにはどれだけのエネルギーを必要としただろう。そして、すばるくんはそこから逃げずに心を決めきり、動き始めたんだと理解できた。

 

メンバー同席の会見。無駄な憶測の余地を与えない、素晴らしい会見だったと思った。この人たちを好きになれて良かったと、心の底から思えた。

 

ただ、そうしたときにどうしても気になるのは安田くんのこと。「安田くんらしい」「関ジャニ∞らしい」「(笑)」みたいな意見もたくさん見た。だけど、わたし自身は逆立ちしたってそうは思えない。人一倍感受性が強くて、仲間思いの安田くんが背中の打撲といういわば「自分の都合」で会見を欠席する。どれだけ悔しかっただろう。どんなにやりきれなかっただろう、と思う。身体も心も疲れ切っていないかなと心配になる。出席できなかったことが、重苦しい石になって安田くんの心に残り続けませんように、心からそう願う。

だけど、わたしたちファンは想像しかできない。もしかしたら、安田くんにとって「会見に出席できなかった」事実は、わたしたちが思うほどに重大ではない可能性だってある。こう思うのには、安田くんが何のために会見に臨みたかったか、今は分からないというところも大きい。それから、安田くんが傷ついていてほしくないという現実逃避でもある。それでも彼は「心で繋がっているから」「しぶやんなら大丈夫だから」と言うような気もする。

本当に分からない。彼らの絆や本当の気持ちは彼らにしか分からなくて、わたしたちはそれを媒体を通して想像するしかない。やっぱり、この出来事をめぐってわたしが辛かったことの一つは、安田くんの口からその気持ちを聞けなかったこと。寄せてくれた文章から、もちろん安田くんの思いは伝わっている。だけど、わがままだから、彼の表情を見て彼の口から思いを聞きたかった。せめて媒体を通して想像したかった。

 

だからかな。昨日関ジャムの「島唄」を見たとき、初めて涙が出てしまった。テレビで見たときには、なんにも分かってなかった。安田くん、すごく優しい顔ですばるくんを見るんだな、と思ったぐらいで。その裏側で安田くんが思っていたことなんて、何も感じ取ってはいなかった。だけど、あのとき安田くんはもうすばるくんの思いを知っていたのかと思って見たら、もうだめだった。

 

日曜日からずっと曲が聞けなかった。だけど今日、ようやく聞けた。あえてあの日と同じ、「へそ曲がり」。一声目で涙が出た。聞き終わって口ずさんでみて、また泣けた。

やっぱり曲を聞くとまだ胸がいっぱいになる。関ジャニ∞の曲が好きだから、今は純粋な気持ちで楽しめないのが辛い。けれど、いずれ聞けるようになる。だからきっと大丈夫。

 

横山さんも言っていた通り、これから先すばるくんも関ジャニ∞も険しい道を進むことになる。これまでだってたくさんのことを乗り越えてきて、そしてまた今、新しい戦いに乗り出そうとしている。

すばるくんのことを、応援したい。だけど、多分いったんはお別れ。すばるくんはきっと、文字通りすべてを擲つ覚悟で行くんだと思う。そして、本当に成功するまで、わたしがすばるくんを見られることはないんじゃないかな。だから、何をもって成功というかは分からないけれど、絶対絶対成功してほしい。たとえ思い通りにいかなくたって、妥協しないでやれるところまでやり抜いてほしい。

そして、6人の関ジャニ∞のこと、精一杯応援していきたい。それがどういう形になるのか、まだ想像ができないけれど。まったく新しいものでも、そうでなくても良い。がむしゃらになる彼らに、がむしゃらについていきたい。

大倉くんが言っていた「変化」という言葉。すばるくんが変化していくように、関ジャニ∞が変化していくように、わたしも変化していく。だから、「ずっと」なんて簡単には言えないけれど。思いがある限りはずっと、関ジャニ∞渋谷すばるを支えていきたい。

 

夢を言葉にするのは簡単だけど、そのために行動を起こすことがどれだけ難しいことか。いつも身をもって感じている。だからこそ、すばるくんが新たに歩み始めたことがまぶしくて、わたしを照らす道標になってくれる。今の環境でだって歌を歌い続けることはできるのに、そこに甘えないという決意が。この道で、自分の責任で生きていくという思いが。どうか、会見でのすばるくん自身の言葉と、メンバーの言葉が、今後のすばるくんを支え続けていきますように。

 

 

最後に今回の件を経て、思ったこといくつか