無限の青へ

 

 

「自担」という言葉が嫌いでした。

 


ジャニーズ沼に片足を突っ込んで間もなかったあの頃、自担って日本語としておかしくない?と悶々としていたな。でもその意味を頭で理解するより前に、感覚として理解するようになっていきました。「この人が自担だ」と。気づけばあなたのことを自担と表現するようになっていました。

 

安田章大さん。

 

忘れてもらえないの歌の観劇をもって、わたしは安田担を降ります。
そもそも一途な女ではありません。これまでさんざん複数のジャニタレに愛を注いできた自覚はあります。東にかわいい男あれば行ってキャーキャー騒ぎ、西にオモロい男あれば見てゲラゲラ笑い、好きなものを好きなときに摂取し、縛りもせず、縛られもせず、そういうオタクでした。そんな骨の髄までDDのわたしが今さら何を?という感じではあるのですが。それでも、これまでずっとわたしにとって自担と呼びたい存在は、安田くんただひとりでした。

 

安田くんに落ちた日のこと。あの胸の高鳴りは今もはっきりと覚えているし、きっといつまでも消えることなくわたしの中に残り続けるでしょう。関ジャニ∞のことが気になり始めて、ほとんど見たことがなかった音楽番組を初めてリアタイして。そこで目を奪われた。それは、間違いなくわたしの人生における決定的瞬間のひとつでした。見る前はほぼノーマークだったのに、キラキラの笑顔で踊る安田くんから何故だか目が離せなかった。ぼんやりと眺めていた夜空に、突然星が流れたような、そんな感覚。それまでジャニーズとは縁遠かったわたしにとってその感覚はとても鮮明で、ある意味衝撃とも言えるものでした。

 

それから今日に至るまで約2年。思えば関ジャニ∞にとっても平坦ではなかったであろうこの2年ですが、わたしは本当にめちゃくちゃ楽しかった。円盤が出る日を指折り数えて待つことも、気づけば身の回りのものが青ばかりになることも、大切なお知らせを聞いて目の前が真っ白になることも、時間をかけてああでもないこうでもないとレターセットを選ぶことも、上ハモばかりを覚えてしまうことも、どれも安田くんに出会わなかったら経験しえなかったかもしれない。安田くんを、そして関ジャニ∞というグループを追いかけることで、これまで味わったことがなかったこんなにたくさんの感情を知ることになるなんて、会ったこともない誰かの人生にこんなに心を揺さぶられるなんて、思ってもみませんでした。

 

自担ってなんなんだろう、と近頃ずっと考えていました。自分が好きで、応援しているメンバーのこと。それだけだとこの言葉に付与されている微妙なニュアンスを説明しきれていない気がして。そのニュアンスは明確に定義されているわけじゃなくて、人によって少しずつ違う。だからきっと、自担という言葉の意味はオタクの数だけある。では、わたしにとって自担とは?わたしは何を以って自担を自担とする?

 

安田くんのことをあまり追いかけなくなってしまった自覚はありながらも、しばらくは安田担を名乗っていました。自分が担降りするなんて考えたこともなかった。というより、考える俎上に載せたことすらありませんでした。安田担であること。それはすでに、ジャニオタであるわたしにとって最も重要なアイデンティティのひとつだったから。でも、自分にとっての自担の定義について考えるうちに、もしかしたら、という思いが芽生えてきました。もしかしたら今の安田くんは、今のわたしが思う「自担」の外側にいるのかもしれない。

 

そんな心境の中迎えた、2019/10/19。忘れてもらえないの歌。
観劇前はそれを観た自分がどんな感情を抱くのか予想もつかなくて、怖かった。もし、安田くんに対してなんの特別な感情も持たなかったら?そのときはもうおしまいなのかもしれないなんて考えて、どうすれば良いのか分からなくて、逆に落ち着いていた。
幕が上がってしまえばそんなことを考える暇もなく、シーンの一つひとつ、音楽の一つひとつ、そしてそれを包括する物語に圧倒され、魅了されている自分がいました。わたしはストーリー性のあるものを観るとき、その物語に没入する(役者と役を完全に切り離して観る)タイプなので、滝野さんを観て安田くんを感じる暇もありませんでした。それが、第一幕のラストの滝野さんの歌を聞いて、安田くんがブワッと押し寄せてきた。バンドを牽引して、その声でその場の空気も観客の心も震わせている安田くんの姿がどうしようもなく美しくて、圧倒的で、涙が止まらなかった。
「ああ、これがわたしが好きになった人だな」
わたしが好きな人、ではなく。好きになった人だなという思いが、それを観てごく自然に生まれたのです。そこで、安田担を降りるときが来たのだなということを悟りました。

 

わたしは、忘れてもらえないの歌という舞台が本当に好きでした。ストーリーも、音楽も、台詞も、キャストも、その他すべてを含めたあの世界を愛しています。出会わせてくれた安田くんには感謝しかありません。
そして安田くん。その世界で滝野亘として生きる安田くんが大好きで、誇りに思いました。

 

こんな言い方をするとおかしいけれど、忘れてもらえないの歌で安田担を降りられることを、とても幸せだなと思います。もしこの機会がなかったら、なんとなく心が離れて気づいたらもう、ということや、いつまでも心にとげが刺さっているような気持ちでいるということも普通にありえた。それが、自分が愛した舞台で、主演を張った安田章大を見て決断できた。この巡り合わせに、心から感謝しています。

 

これまでも、これから先も、安田くんがわたしにとって特別な人であることに変わりはありません。でも、ここでわたしと安田くんの第一幕を閉じようと思います。

 

 

死ぬまで一生あなたの信じる安田章大であってください。

 

 

愛してやまない男たちの話がしたい ~おいでよDDの沼~

[DD(誰でも大好きの略)]

アイドルファンの特有の愛情表現の一形態で、「誰でも大好き」(Daredemo Daisuki)の頭文字を取ったもの。

 

私のジャニオタ人生は、関ジャニ∞安田章大担として始まった。安田章大こそが最後の恋だと信じて疑わなかった時期もあった。しかし、そこはジャニーズそんなに甘くない。ジャニオタをしていると見えてくる別Gの沼。楽しそうな現場。数多の魅力的な男たち。元来の惚れっぽい性格も手伝って、DDの沼に落ちるまでに時間はかからなかった。今は、そのときに推したい人を全力で推そうをモットーに、毎日元気にオタ活をしている。

さて、今回は備忘も兼ねて、今私が好きな男たちについてまとめておこうと思う。

(書き終えた今見てみると文量がえげつないので、興味があるところだけ見ていただけたら………とっても嬉しいです……………)

 

 

 

 

・きっかけ

私が安田章大さんのことを初めてしっかりと認識したのは、2017年7月5日に発売された「an・an  No.2060」だった。ジャニーズといえば母に連れられてSMAPのコンサートに行ったことはあったが、このan・anを買った当時は全く興味がなかった。バンドに興味があったので、そちら側から関ジャニ∞がMETROCKに出演したという話を小耳にはさんではいた。ワイドショーの映像を見て、関ジャニ∞ってバンドするんだ、曲かっこいいなと思ったけれど、そこで終わっていた。思い返すだにもったいない。このan・anも表紙の関ジャニ∞に惹かれたわけではなく、「かっこいいカラダのつくり方。」というその号のテーマに興味があって手にしたものだった。そこでそれまで知らなかった4人のメンバーの顔と名前を初めて知った。安田くんも知らなかったメンバーのうちの1人だ。そのときは、横山裕くん昔よりかっこよくなってる、大倉っていう人が一番好みかもしれないけど髭はいらないな(ちょうど蜘蛛女のキスのビジュアルだった)、程度の感想しか抱かず、安田くんに至っては好みのタイプじゃないかなあとバッサリ切っていた。とんでもない。

その後、関ジャニ∞クロニクルの英会話伝言ゲームやCan!ジャニの鬼教官村上とペーパードライバー丸山の動画を偶然目にして衝撃を受けた。かっこいいのに面白い。そういえば関ジャニ∞ってバンドやってたな、バンド姿ももっとちゃんと見てみたいなと思った。それは2017年9月の頭で、運の良いことにMETROCKの映像が収録された「奇跡の人」が発売になったタイミングだった。その日のうちにはCDショップに行き、「奇跡の人」を買った。それを見てまず驚いて心惹かれたのは、まるちゃんのベースと大倉くんのドラム。ここでも特に安田くんに心が動くことはなかった。これまたとんでもない。

それが覆されたのが、9月18日に放送されたMステウルトラフェスの「今」。気になり始めてから初めてテレビで見た関ジャニ∞。そこで、安田くんに心を奪われた。それまでそう思ったことは実は一度もなかったのだけれど、とにもかくにもビジュアルが最高すぎてびっくりした。分かる人には分かるであろう、茶髪の天使ビジュだ。ビジュアルの振れ幅、罪すぎる。おかげさまで安田くんのかわいさに気づくのが遅れた。小さい身体をめいっぱい使った大きくてキレのあるダンス。歌うときのキラキラした表情。いつの間にか安田くんから目が離せなくなっていた。この人のこと、好きかもと思った。それから、安田くんを目で追う日々が始まった。

今となってはもう当たり前に使うが、ジャニオタになってからしばらくの間、私は「自担」という言葉が好きではなかった。担当という言葉に違和感を感じていたので、安田くんのことも「推し」と表現していた。しかしいつの日からか、安田くんは「自担」だ、もう抗えないと思うようになった。「推し」と「自担」では何が違うのかと言われるとよく分からないが、普段の生活で使う言葉ではない分「自担」には特別な思いが乗っているように思う。この変化に至るまでに何か決定的なことがあったのかなかったのか、残念ながら今となってはもう思い出せない。しかし、その後私はたくさんの男を好きになるが、いまだに「この人は私の自担だ」と認識した人は安田くんを除いて他にいない。

こんな髪型が良い、ピアスもうちょっと小さいのが良い、演技の仕事してほしい、とか。ああしてほしいこうしてほしいはどれだけでも語れてしまうけれど。そういう小さなことはきっと本当はどうでも良くて。死ぬまで一生安田章大の思う安田章大であってほしい。なんて、めちゃくちゃ我儘でめちゃくちゃ重たいけど、そう思っている。

 

表現者 安田章大

安田くんのどこが好きか一言でまとめるならば、「表現者であるところ」だと思う。作り出せる人である、というところに心底惚れている。作り出すものに、というよりは、作り出せる人だというところに。

曲を作る、詞を作る、絵を描く、髪型を変える、服を身にまとう、ブログを書く、歌う、踊る。こういった目に見える一つ一つの表現もさることながら、安田くんは空気や雰囲気を表現することに非常に長けている。

その真骨頂といえるのが、安田くんが作詞・作曲・MV演出・衣裳・振り付けを担当した、安田章大総合プロデュース曲「Black of Night」だと思う。関ジャニ∞の前向きで元気なパブリックイメージとはかけ離れたこの曲。人間の欲望を表したという衣装、聞いている人をヒリヒリさせようとしたという曲のアレンジ。聞けば聞くほど、知れば知るほど精緻に創りこまれた世界観に驚く。天才。安田章大は天才なのだ。

さらに驚きなのが、「安田くんが作る曲のテイストはこういうイメージのものばかり」ではないことだ。暗く不穏な曲、温かく切ない曲、疾走感のある曲、聞いているこっちが恥ずかしくなってしまうようなエッチな曲、かわいらしい曲、ファンへの思いを伝えてくれている曲…安田くんがこれまで作ってきた曲は多種多様で、どれも全く違うイメージを持つ曲ばかり。これらを作った人が安田章大という一人の人間だとはとても信じられない。こんなにたくさんの顔を見せてくれる人は、きっとめったにいない。

もちろん安田くんが表現するものの中にも好き嫌いはある。特にビジュアルや曲なんかは分かりやすい。安田くんを好きでいることでストライクゾーンは広がっているものの、これは良いというものだけでなくそうでもないというものもある。しかし、好き嫌いが出るのも表現の幅の広さゆえのものだと気づいてしまえば、その凄まじさにはもう感嘆の声を上げざるを得ない。

また、安田くんの表現力は自分を表現することだけに留まらない。「Dye D?」の日本語詞の部分を、しっかりと伝えてくれそうだからという理由で村上くんに振った話を知ったときには、そのセンスに改めて驚いた。

今さらだけど、安田くんが4人の別々の人に扮した一人舞台、「818」を観に行ってみたかったなあ。

 

・歌

歌をとってみても、安田くんが伝えてくれるイメージは曲によって大きく異なる。細かく見れば、声音、表情、体の動かし方等、曲によってそれぞれ少しずつ違う。例えば、「象」の切なく迫る力強さ、「T.W.L」のポップさ、「The Light」のどこか儚い輝き、「罪と夏」のギラギラ感、「I to U」の柔らかさ。くるくると変わる表情をいつまでも追いかけてしまう。

安田くんの上ハモが好きだ。主旋律を歌う安田くんも好きだけど、ハモリを入れたり、「RAGE」や「宇宙に行ったライオン」のように裏のパートを歌ったりする安田くんが好きだ。コンサートや歌番組でギターが忙しくてハモっていなかったりしたら、ちょっとだけがっかりしてしまう。ジャニーズには、関ジャニ∞ほどハモるグループはないと思う。その関ジャニ∞の武器を支える職人安田章大。愛しかない。

それから細かい話になるけれど、安田くんの歌のb音とk音がたまらなく好きだ。そう、安田くんの歌う「僕」。安田くんの歌う「僕」は破裂感が強く特徴的なので、すぐに分かる。ああ、安田くんだなと思う。特に「アイスクリーム」の「僕」、「応答セヨ」の「僕」は聞くたびに好きを更新する。

 

・ギター

安田くんのギターを初めてしっかりと見たとき、好きなタイプのギタリストだなと思った。安田くんのギターは感情が乗っている。そして、見せ方が分かっている。弾き様がかっこいいけれど、決して目立とう目立とうとしているわけでなくて、バランスが良い。

見せ方は特にギターがしっかり弾けた上で初めて意識できることだと思う。余裕がなければ意識できない。超絶テクを見せつけるタイプではないけれど、明らかに演奏技術が高い。かっこいい。

 

・文章

私は安田くんの表現の中でも、特に文章での表現がとても好きだ。歯に衣を着せぬ言い方をすれば、安田くんは文章を書くのが上手くはない。何を言っているのか分からないことや、コロケーションが無視されていることもしばしば。でも安田くんの文章を読むと、その文中の言葉の一つ一つはちゃんと意図をもって選ばれてきたのだろうなと感じる。よく耳にする言葉や言い回しで丸めるのではなくて、そのときどきで言葉を選んでいるからこそ、安田くん自身が思ったことや感じたことがより立体的に伝わってくるように感じられる。安田くんの文章は、きっと安田くんにしか書けない。そこがたまらなく好きだ。

 

・髄膜種の公表から

2018年7月2日。安田くんが自身の髄膜種について公表したとき、一瞬目の前が真っ白になって耳の奥がざわざわしたのをよく覚えている。何かあるのかもしれない、と薄々感づいてはいたものの、事実はその予想を簡単に超えてきた。何よりも衝撃だったことは、私は病気になる以前の安田くんを知らないということ。

そのとき私は、絶対に安田くんに“病気をしたけれど頑張っている人”というレッテルを貼りたくないと思った。自分が頑張っていることが誰かの力になれば、と伝えてくれた安田くんの思いにはそぐわないかもしれないけれど。「病気をしたから」「病気をしたのに」その言葉を免罪符に、安田くんの表現を真っすぐに受け取る努力を怠りたくない。もちろん病気をして感じ方や考え方が変わるということはあると思うし、安田くんがそれをそのように伝えてくれるのなら素直に受け取りたい。でも、それを私が勝手に判断したくないと思った。ああ、そっか、あんなことがあったもんそういう考え方にもなるよね、なんて。簡単に決めつけるようにだけはなりたくない。

私が安田くんを見たのは、GR8EST名古屋3日目とマニアックでだけだ。正直に言ってしまえば、そのときはどうしても病気について考えないではいられなかった。これから先も、大きな病気をしたという、その事実を忘れることはきっとできないけれど。それでも、雑念無しに安田くんの表現そのものを心から楽しめる日は必ずくるだろうなと思う。だって、相手は安田章大だから。早くまた安田くんに会いたい。

 

 

 

・きっかけ

この人を知って、私はアイドルへの「好き」のカタチは一種類じゃないんだと知った。「なんだかんだ言っても、アイドルに恋愛みたいな“好き”を抱くことはない」と思っていた私を、重岡大毅はいとも容易く篭絡した。自分は理性的なタイプだと思っていたし、リアコという言葉は知っていても自分には縁がないと思っていたのに。こんな風に恋する日が来る、誰が予想した?信じられるマザー?!状態。この人のことを考えているときの私、紛れもなくJK。フルネームを見ただけで胸が苦しいし、不意に写真に行き当たったりなんかしたら立ち直るのにちょっと時間がかかる。しんどい。誰かに重岡くんの話を聞いてほしいけど、いざとなると恥ずかしくて上手く話せない。でも話したい。こんなん恋バナしたい女子やん!ホァ~~~~~~~~~~~~も~~~~~~~~~~~~~~~むり!むり!!好き!!!辛い!!!!!!だれかたすけて!!!!!!!!!

重岡くんのことが気になり始めたのは忘れもしない2019年の年始。ジャニオタ界隈で、「ジャニーズオフィス座席表」が流行った(ジャニーズの名前が並ぶ座席表のいくつかが空席になっていて、あなたはどこに座りたいですか~?ってやつ)。そこから全ては始まった。安田先輩覗きたさで座った席の、隣の席が重岡大毅だった。当時はジャニーズWESTのセンターということ以外重岡くんのことは何も知らなくて、多分顔も曖昧だったと思う。隣に座ったのがきっかけで、なんとなく調べてみたのだった。そして、なんとなく色々な方のブログを読んだり、写真を見たりしているうちに「隣の重岡」のことばかり考えるようになってしまった(隣の重岡とは気も合ってよく二人で飲みに行くけど、そういう好きじゃないのだ)。そして気づけばめちゃくちゃ気になる存在になっていた。我ながらさすがにキショくてマジで片腹痛い。胸キュンを自給自足するな。

そうこうしているうちにもう重岡くんへの熱が抑えられなくなってきて、「溺れるナイフ」「殿、利息でござる!」「宇宙を駆けるよだか」を見た。前々からコンサート円盤を見るより先に、どうしても「宇宙を駆けるよだか」を見なければと思っていた。どうせ見るなら物語として楽しみたかったので、かみしげを知る前に見たかった。だから、コンサートより先に演技仕事から入った。それでまあ当然大友にも音右衛門にも火賀にもやられた。

その後、満を持して見た「WESTival」。登場の瞬間から顔が好きすぎて我を失った。なんだよ薔薇を咥えて出てくるって。とがった犬歯がかわいすぎんだろうが。はいしんどいしんどい。正直円盤見てこんなに黄色い声上げることになるとは思ってなかった。最初のぶち上げテンションで絶対最後までもたんやろと思ったら案の定アンコール前にバテてるところも愛おし……だったし私の声も同様にアンコール前にはやられてましたわ。アッハッハ。そんなこんなあってアイドル重岡大毅をまっとうに摂取し始めたので、最近では隣の重岡は鳴りを潜めつつある。

そして今は、過去に遡って色々と覗いてみているところ。特に、最近買った2018年9月号のMYOJOの10000字インタビューがとても良かったので、ジャニーズWESTのセンター・重岡大毅を紐解いてみたいなあという気持ちがまた増した。

そうして過去を知れば知るほどに、未来も見たくなる。この人が真ん中に立つグループは、これから先何を見せてくれるんだろう。すごくワクワクする。今年はちょうど、ジャニーズWESTのデビュー5周年の年。のんびりにはなりそうだけど、重岡くんとジャニーズWESTを追いかけてみたい。

 

・顔

重岡くんの何が私を狂わせたか、一言でいえばまず顔だ。あまりにも顔が好きすぎる。そんでもって、それがJr.時代から今に至るまでずっと(寝不足のパイナップル除く)だ。ニャ~~~ンそんなことありえる?!?!あ、あ、ありえねえよ~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!ウォォオ~~~~ン

たしかに時期によって前髪とか髪の長さとか顔の形とかに多少の違いがあるのは分かるんですけど、ビジュアルがコロッコロコロッコロ変わる自担(安田章大氏)を持つ身からしたらなんだこの安定供給。安定具合が工場か?シゲオカファクトリー?おかげさまで、いつの何を見ても最高に顔が好き!!!何を見てもマジでときめく!!!やばくないですか!!!やばいね!!!!「黒髪やったり、眉毛をいじったりしてへんのは自信があるっていうことや」「(黒髪)似合ってると思ってるからね」……………いや~~~~もうほんとありがとうございます。

しかし最近金髪にしてみたいかも、って言ってるの見たけど、それは……どうなるんでしょうね………。髪色派手な男は言わずもがな好きだけど、重岡くんにはそのまんま、ヴァージンヘア貫いてほしい気が、します、ね。

具体的に顔のどこがどう好きなんだろうって思ってさっきからカメラロールを見てるんですけど、情緒が不安定になってきましたわ。マジでこんなに顔が好きな人に今まで出会ったことない。もっとイケメンは世の中にはいる。分かる。んだけど、私はどうしてもこの顔が好きなんだ。いや、マジで冷静に考えられん。とりあえず顔の輪郭は気が狂うほど好き。目、鼻、口、歯、えくぼ込みのほっぺた、眉毛、耳、好き。それから、笑顔、キメ顔、ちょけた顔、押しなべて好き。やべ~~~~真剣に考えたいのに何もわかんねえ!!!!!パオ!!パオパオパオ!!!!!!

取り乱してすみませんでした。

 

・演技

重岡くんがこれまで演じてきた役が本当に大好き。熱くて優しくて親しみやすくて誠実で不器用な男たち。「溺れるナイフ」の大友勝利、「殿、利息でござる!」の穀田屋音右衛門、「宇宙を駆けるよだか」の火賀俊平、「節約ロック」の稲葉コウタ、「ストロベリーナイト・サーガ」の大塚真二、「炎の転校生REBORN」のシゲオカ駆、「ごめんね青春!」の海老沢ゆずる………(見た人羅列したらごちゃごちゃになった)

も~~~~~~~ほんとにどいつもこいつも!!!!!!!!!!!(しんどい)

この役たちのおかげで、「葛藤する重岡大毅」という性癖を自覚してしまった。なかなか簡単に分かりやすく幸せになってくれない男ばかりだから、いつまでも心に留まって忘れさせてくれない(しんどい)。でも、心配しなくたって彼らは絶対幸せになれるような男たちなんだよ(しんどい)。いや、しんどいねえ。

あんまりしゃべるとネタバレするな。とりあえず、「溺れるナイフ」と「宇宙を駆けるよだか」は必修科目ですので、ぜひご覧ください。「溺れるナイフ」はFOD、「宇宙を駆けるよだか」はNetflix!どっちも最初1か月無料だよ!

重岡くんの演技の何が良いかというと、最初にくるのはその自然さだと思う。見ている側に演じているという感覚を与えない。まさにそこにいるのは大友勝利であり、火賀俊平であり………、役そのものが息をしているという感じ。いわゆるはまり役が多かったのかなあという気もする。重岡くんのイメージや性質からかけ離れた役、というのもあまりなかったのかなって。

だからこそ、これから本人とは似ても似つかぬ役も見てみたい。サイコキラーとか、ダメニートとか、王子キャラとか!でも、これからもどこにでもいそうな男の子も見たい!あ~~~ん!

 

・歌

まだ聞き分けがまったくできなかったころ、CDを聞いて「ん?今のとこ良い。誰?」って気になって調べると重岡くんだった!ってことが頻繁にあった。「Ya! Hot! Hot!」の「楽しいこと探しに行こうよOh Yeah」とか、「赤いマフラー」の「それでも好きだった」、「パーリパーリパリ -カタカナを叫べ-」の「ほらいっせーので」とか…………

喋ってるときの声が特徴的だから意外だったんだけど、歌となると声がものすごく甘く、柔らかく響く。でもやっぱり芯は残っていて、それが良い塩梅で聞いててとても心地いい。歌ってるパートどれも最高!歌上手い!っていう感じとは違うんだけど、ぼーっと聞いてても胸に響くような、残るパートがけっこうある。

そして、重岡くんの歌という観点で外せないのは「乗り越しラブストーリー」(作詞・重岡大毅)と「間違っちゃいない」(作詞作曲・重岡大毅)。どちらもシンプルで武骨で、その中に繊細さや切なさを秘めている。2曲とも重岡くんの名刺代わりになるような曲だなと思う。

「乗り越しラブストーリー」は「WESTival」のDVDで見て、「重岡くんすっごい楽しそうにピアノ弾くなあ。大人しく座ってられない子供じゃん」って微笑ましく見ていたんだけど、歌詞を見たらエッッッッ………てなった。めっちゃくちゃ切ない………。あの、演奏してる人のうち一人5歳児でしたよね?こんなこと歌ってたん?ちょっと歌詞一回見てきてください。この曲、作詞・重岡大毅です。

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中でも、私が一番好きな歌詞の一節は2番のAメロ。

『誕生日にくれた流行りのキャップ 実はサイズ きつい 「私もいっしょに使いたくって」ってエヘヘちゃうで』

?待ってリアリティやば?いやほんまエヘヘちゃうで?顔の小さい彼女?…………………ハァ~~~~~~~~~~~イ無☆理。はい。大事なことなのでもう一度言いますね。この曲、作詞・重岡大毅です。

「間違っちゃいない」は、味方でいてくれる曲。その名の通り、『間違っちゃいないよ』と優しく背中を押してくれる。特に理由はないのに気持ちが落ち込んで元気が出ないときに、思い立って聞いてみたらすごく心に沁みて。そのときから、それまで以上に特別な曲になった。

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この曲に込められた重岡くんの思いを雑誌やラジオで見聞きするたびに、重岡くんとジャニーズWESTへの愛が深まる。制作時に6対1の1になってしまい落ち込んでいた中で、メンバーからもらった言葉たちから詞ができたこととか。今悩んでいるJr.に聞いてほしいという思いとか。そういうところを知って改めて聞くと、もう胸がギュッとなってたまらない。

この曲の歌詞も「乗り越しラブストーリー」と一緒で、とてもリアリティがある。『朝の占い横目で順位気にしてさ』なんて。ああ、重岡くんも同じように今を生きている人なんだなあって改めて実感する。

 

・交友関係

重岡くんを好きになって気づいた。グループの垣根を超えた関係性って素敵だよな!

錦戸亮ちゃんとのエピソード、良き先輩後輩らしくてとても好き。どちらもプライベートで会う先輩(後輩)少なそうなのに、中でも仲良くしてるんだなっていうところ、最高。重岡くんの車(税金対策の軽)でなんばグランド花月に行くのとか、コップの渡し方で亮ちゃんに怒られる重岡くんとか、最高ちゃいます?かっこつけない、が美学という重岡くんの考え方が、「ごめんね青春!」のときに亮ちゃんに「かっこつけんな」って言われたところから始まっていることとか。公私ともに最高で最高を固めた先輩後輩で息苦しい………

あと、向井康二くんへの熱い思い。雑誌やラジオで康二くんの話をしている重岡くんを見ると、私が死ぬ。「康二のことはどうしても気になってしまうし、康二がどんなときでも見捨てられへん」という言葉から見える、同期であり先輩感。長い付き合いなんだもんなあ。重岡くんがSnow Manのコンサートを見に行った話をしていた回のラジオは録音してたまに聞いているんだけど、何回でも新鮮に泣いてしまう。康二くんがデビューできたら、重岡くんめちゃくちゃ喜ぶだろうな。ジャニーズWESTのコンサートのメイキングで見られる同期感にも死ぬ。ううぅ

そして、今いっちばん私の中で熱いのはけんしげです。けんしげの何が最高かって、けんしげのけんです。(ほとんど)いつだってセルフプロデュースがばっちり決まってるケンティが、好きな人の前でこんなにデレッデレになってしまうなんて知らんかった~~~~~~~!!!!!!あよよ~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!もうエピソードの一個一個がしんどくてしんどくてたまらないんですけど、ケンティに一つだけ文句を言わせてもらうとすると、「前髪は下ろしてたほうがいい」ってアドバイスはアカン!!!!!!!!!!!!!!(強火前髪上げ担より)

 

・「悩むことがある」ということ

ここまでぼちぼちと書いてきたけれど、重岡くんのことが本気で好きだなあと思ったのは、「この人も悩んだり、もがいたりするんだ。その上であんなに底抜けに明るく笑うんだ」と知ったときだった。

ジャニーズWESTのセンターで、いつも笑っている人、という印象だった。よくふざけて、メンバーに突っ込まれたり、うざがられたり。ただひたすらに明るく輝いている人だなあと重岡くんを知ってすぐの頃は思っていた。

でも、色々なことを知るようになって、だんだんとそうばかりでないことが分かってきた。ステージで笑えばいいんでしょって思ったときに、突然笑えなくなったこと。センターに対して重圧を感じていたことがあったこと。それから、「間違っちゃいない」に込められた思い。Jr.時代、デビューできなかったらそれまで積み上げてきたものはどうなるんだろうと思っていたこと。どんなアイドルもきっとそうだと思うけれど、重岡くんもこれまでに色々あって、その上で今に立ってるんだなあ、笑顔を見せてくれてるんだなあと分かってしまったら、もう好きになるしかなかった。

いつも伝えてくれる熱い思いは、ただただ綺麗に形よく並べられただけの言葉ではなくて、血の通った心を確実に通ってきているものなんだなあと思う。ちゃんと弱さもあって、それでも強くある人。どこまでも信じられる人だなあと思う。

 

・センター

今、重岡くんのことで一番気になっているのは「重岡大毅のセンターへの意識はどう醸成されていったのか」ということ。2014年には「(センターというポジションであることについて)全く考えてない。肩に力が入ったり余裕がなくなると、顔にも出ちゃうしなんもできなくなる」「色がないからこそアイドルって思うしか残らへん」と言っていた重岡くんが、2018年に「(センター)好きっす」「ジャニーズWESTのド真ん中の魂は俺」「俺はもっと、今までなかったアイドルで1コ突き抜けられるって信じてやってるし、人とちがう存在になれるんじゃないかって思ってる」と言うようになるまで、どんなことがあったのか。

5周年を迎えるにあたり、重岡くんに向けて照史くんが送っていた言葉も忘れられない。「よくセンターっぽくないと言われるけど、俺らのセンターはそれで正解だからそのままでいてな」という言葉。きっと、重岡くんの思いの変化には、メンバーの思いから受けた影響もあったんだろうなあなんて。

きっと5年のうちに色々なことがあったんだろうな。私はまだまだ知らないことばかりだから、ジャニーズWESTのこれまでを追いながらちょっとずつ知っていけたらなあと思う。センター・重岡大毅をもっと知りたい。

 

 

 

・きっかけ

私が聡ちゃんのことをしっかりと認識したのは、2018年の夏。「Sexy ZoneのQrzone」だった。この子の笑い声はきっと世界を救うな、と思った。そう思ったのはたしか風磨くんと聡ちゃんがパーソナリティーの回で、お寿司屋さんの話をしていたっけ。聡ちゃんの笑い声を聞いたらなんだか自分も笑えてきてしまって、いいなあと思ったのを覚えている。そこから、Sexy Zoneで自分が推すなら多分聡ちゃんだろうなあと思っていた。直感でなんとなくだけど。

2019年2月、Sexy Zoneの布教をしていただく機会に恵まれ、初めに見たのが「Sexy Zone repainting Tour 2018」。そのときはやっぱり聡ちゃんが気になるかなあ~?ぐらいだったのが、次に見せていただいた「Summer Paradise 2017」で完全に落ちた。やっぱり直感正しかった。

惹きつけられたのは、ブラックでファンタジーヴィランズの世界の松島聡。最初からそれまではすごくキュートなイメージで、「ディズニーのキャストさんみたいな衣装でかわいいねぇ聡マリちゃん」なんて暢気なことを思っていたんだけど。マリウスのソロを挟んで後、黒い衣装に身を包んで出てきた聡ちゃんに思わず息を飲んだ。焦る。さっきまでのかわいらしさは見る影もなくて、同じ人?って疑ってしまうぐらい。纏う雰囲気がそれまでとは完全に違っていた。聡ちゃんステージの上でこんなに強い目をするのか、と鳥肌ものだった。聡マリでの「GAME」「Perfect potion」「PARTY MANIACS」の流れ、それから聡ちゃんソロでの「KAGUYA」「Hurry up!」「ゴースト」「Break out my shell」の流れにただただ圧倒された。並べてみると完全に癖が出てるな~~~。私は圧倒的な聡ちゃんが好きなんだ。

願わくは聡ちゃんにガシガシ踊るWESTの曲をもっとやってもらいたい。「evoke」とか「SHE IS MY」とか「crazy baby」とか絶対絶対良いよ………。考えただけでアドレナリン出る出る。

そんなこんなで聡ちゃんが気になり始めたわけだけど、そのときにはもう聡ちゃんはお休みに入っていた。PAGESコンで初めて生で見たSexy Zoneは、あまりにも強かった。エンターテイメントとして洗練されていて、非の打ちどころがなかった。それでも、Sexy Zoneはあれで完全体ではなくて、ここに、まだ他の4人とは全く違う色を持つ聡ちゃんがいる。5人でのパフォーマンスをいつか絶対に見たいな、画面越しじゃなくて自分の目に聡ちゃんを映したいなと思う。私も聡ちゃんのことをのんびりと待たせてもらおう。

 

・憑依

「Summer Paradise 2017」で惹かれたのは前述の通りなんだけど、そこで思ったのが、「聡ちゃんの演技が見てみたい!」ということ。ステージ上での柔らかく響く歌声も、それと対極を行くようなキレのあるダンスもとても好きなんだけど、そういう一つ一つのスキルというよりかは、空気を動かす聡ちゃんが好き。表情が好き。表現が好き。聡ちゃんが朝だと言ったらそこは朝になるし、夜だと言ったらそこは夜になるんだ。そういうことなんだよ。

私、絶対の絶対に聡ちゃんは憑依型だと思う(詳しくは分からないけど絶対にそう)。あんなにコロコロとよく変わるのに、無理をしている感じやわざとらしさが感じられない。いつだってそれが本来の姿のように見える。そんな聡ちゃんが演技の仕事をしたらどうなるんだろうと思ったら、見てみたくてどうにも仕方ない。

 

・持ってる男

持ってる聡ちゃんが好きだッ!とりあえずトンビッ!見るべきは「XYZ=repainting 初回限定盤B」ッ!以上ッ!

 

 

 

・きっかけ

向井康二くんは、私が一番初めに名前を覚えたジャニーズJr.だった。知ったのは2018年の滝沢歌舞伎期。その頃の私は、三宅健のラヂオ滝沢電波城を毎週欠かさず聞いていた。そのラジオにゲストとして招かれていたことで、御園座公演に出演していた関西ジャニーズJr.のことを知った。それまでJr.ってもっと子供なのかと思っていたので、自分と同年代の人たちだと知って驚いた。軽い気持ちで聞いていたけれど、あの関ジュ特有のキャッチコピー付きの自己紹介が良かった(おかげであとになって全員顔と名前を一致させることができた)。中でも特に「塩こうじよりも、向井康二」は海馬に効いた。So good!そのときの印象としては、「健くんのことがめちゃくちゃ好きな人」。

その後しばらくして、タッキーのプロデュース業への専念からJr.の一大ムーブメントが起こる。Jr.を目にする機会がどんどん増えていったし、周りのデビュー担を見ていてもJr.に興味を持つ方が徐々に増えていった。そんな中、康二くんは関西からSnow Manへ。関西から東京の既にあるグループに入るんだ。Jr.って相当流動的なんだな、と思った記憶がある。無知な私にとってもセンセーショナルではあった。

そしてISLAND TVに登録するとき、私は向井康二くんを好きなアーティストに選んだ。特に推している人はいなくて、「好きなアーティスト」と言われるとなかなか難しかったけれど、ちょうどRIDE ON TIMEの関ジュ回を見て「向井康二くんマジで頑張ってほしいな~~~」と思っていたタイミングだった。初めて名前を覚えた人が彼だったということも後押しになった。

そこから、康二くんのことを気にし始めるようになった。ISLAND TVの、あの右下に出てくる卵ずるくない?あの顔写真の卵。康二くんがいつでも右下にいることによって、「私、康二くんを選んだんだな……」っていう実感がじわじわと大きくなっていった。我ながらチョロい。

そんなこんなで今は康二くんとSnow Manのことをゆっくりゆっくり追いかけている。「関西ジャニーズJr.の向井康二」も「6人のSnow Man」も知らない永遠の新規だけど、もっと向井康二くんの色々な顔を見てみたいなあ。YouTubeもISLAND TVにも足を向けて眠れない。

 

・仕事人

康二くんの一番好きなところは、仕事人なところ。映画「少年たち」で印象に残った康二くんのシーンが2つともアドリブだったと知ったとき、この人は仕事人だなと思った。関西人、笑い、お調子者的なパブリックイメージでありながら、ひときわ真面目で、また周りをよく見て気を配っているのが節々から感じられるところが好きだと思う。

まず、自分の仕事にストイックなところ。常に自分がやるべきこと、できることが何かを考えている姿勢が見えるところ。Snow Manへの加入にあたり、それまで関西でずっと武器として使っていたはずの「笑い」という鎧を「いったん脱ぎ捨てる」と語っていたのには心底驚いたし、胸が熱くなった。「Snow Manが僕を必要としてくれるなら」「関西で育って関西ジャニーズJr.があったからこそある今の自分が、東京でどこまでできるかと考えれば考えるほど怖かった」という言葉も。そしてその言葉を体現していたRIDE ON TIME滝沢歌舞伎回でのダンスレッスンへの取り組みも。東京のJr.に追いつかなければという焦りや不安がダイレクトに伝わってきて、正直に言ってしまえば見ていて胸が痛くなるぐらいだったけれど。これまでとは違う場所で、また新しく努力を重ねて、もっともっと大きくなれる人なんだろうなあ。

次に、本当によく周りを見て気を遣えるところ。特に感動したのが、映画「少年たち」の実演の時のエピソード。舞台上で岩ジェシがしゃべっているときに客席横を通るという状況で、当然沸いてしまうお客さんに対して、康二くんがしーってポーズをしながら捌けていったという。さらっとそういうことをできるの、とてもかっこいい。他にも、ISLAND TVでメンバーの色々な表情を撮って見せてくれたり、YouTubeで隙間を埋めるコメントをしていたり。ごく自然に先輩を立てる姿もよく見られる。天性のものなのか、上下関係がきっちりしているという関西ジャニーズJr.の中で育ったゆえのものなのか。きっと、周りを読むのは笑いによって鍛えられた部分もあるんだろうな。とても素敵だなと思う。

真面目なところはすごく好きである反面、少しだけ心配になってしまうところもある。追い込みすぎてしまわないかな、変に遠慮してしまわないかなって(何目線なんだ)。でも、そう思ったときにSnow Manのメンバーの温かさを思い出して、ああきっとSnow Manのメンバーがいるから大丈夫だろうな、ってなる。向井康二くんも、Snow Manも好き……とても好きだ………(推しの話じゃなくて推しグループの話になってしまった)

 

・泣き虫

泣き虫と有名な康二くん。そんな康二くん×泣きのエピソードで一番好きなのは、「健くんバースデーサプライズで健くんより先に泣いちゃう向井康二」だったんだけど、最近変わった。

テレビ朝日開局60周年記念ドラマ「白の巨塔」に佐々木庸一役で出演していた康二くん。父・庸平(柳葉敏郎)の死に納得できず、主人公である財前(岡田准一)を訴えるという役どころだった。その佐々木家のエピソードがこちらです。 

www.tvguide.or.jp

柳葉さんのことを思うと涙が止まらない康二くん……滝沢歌舞伎ZEROを観劇に行った岸本さんに涙ぐむ康二くん………。佐々木家まるっと愛に溢れている………………。

演技についても鬼気迫るものがあった。これまでの滝沢歌舞伎や少年たちでも評価されていたのは知っていたけれど、実際にしっかりと見たのは初めてだった。どこにでもいそうな大学生の男の子がそこにはいて、とても自然に見られた。今度はヒールの向井康二が見てみたい。

 

・ファッション

ジャニーズWebでファッションを披露している康二くん(FC会員じゃなくても見れるのでありがたい)。それがちょうどいい具合におしゃれで非常に推せる。最近服を選ぶときは「向井康二のオンナとして相応しいか」を基準に設けるようになったんだけど、これがなかなか良い。

タートルネックが最強。パーカーも最強。カジュアルも最強。フォーマルも最強。というかそもそもなんだけどスタイルが最強。うんそれだわ。

個人的にキレ散らかしたのは阿部ちゃん先生回のYouTube。 学ランの下にパーカーを着るのは恋だとあれほど言っただろうがァ!!!!!!!!!!

www.youtube.com

 

 

 

・きっかけ

たしかジャニーズJr.チャンネルが始まったときにさらっと全グループの動画を見ていたんだけど、その頃は佐久間くんにピンとこなかった。んですが。前述の通り向井康二くんの加入から改めてSnow Manを見てみたら、前見たときよりも格段にかわいくなった佐久間くんがそこにいてめちゃくちゃ驚いた。なして?どして?どうやったん?私にも教えて?(好きなビジュの佐久間くんとそうでもない佐久間くん並べて気づいたけど、もしかしなくても一重だったり二重だったりしてるな?分かりやすく二重の佐久間くんが好きですね私は……)

横アリ公演のために銀髪になったときは、ま~~~いよいよだぞ………と思った。身軽で小柄で髪色派手にしがちなかわいい人が好きなんだよ………どう考えても私の推しの系譜に乗りすぎてる…………好きだよね~~~好きだ~~~~~~

j-island.net

 

・アクロバット

特に佐久間くんとんでもないな、と思ったのは、RIDE ON TIME滝沢歌舞伎ZEROの回。たしかポスター撮影だったと思う。桜をイメージしたピンクの衣装を身にまとってトランポリンでバク宙をする佐久間くんを見て、全面降伏した。弧を描いて回る姿がただただ美しくて、儚くて、あの佐久間くんは完全に舞う桜の化身だった。バク宙という言葉が佐久間くんの身体の動きの美しさに釣り合ってなくて、もうなんなんだろうこれは状態だった。

ありがたいことに映画「少年たち」でも見られる、んだけれど、すみません、カメラさんもうちょっと!もうほんのちょっとだけでいいんで寄ってもらえますか?

佐久間くんのアクロバットは「重力を感じさせない」という言葉がぴったりで。軽くて高くて指先つま先まで美しい。無理も無駄もない。ヒヤヒヤすることなく見られるので、心臓に良いアトラクションって感じ。

死ぬまでに一度は生で見たいものの一つに、佐久間大介のアクロバットが追加されてしまった。いつかどこかで見られるといいな。どうか怪我にだけは十分注意してほしい。

 

・ダンス

この人のダンスやべ~~~~~~~~~~~の!

こんな文章読まなくても良いのでとりあえずこれ見てきてくださいさようなら!!!!

www.youtube.com

こんなにダイナミック!なのに繊細でめちゃくちゃ丁寧!佐久間大介がどれか分からない?大丈夫、足さばきがひときわやばい奴が佐久間大介です。どんなに細かいステップでもミリ単位で計算された位置に足下ろしてるでしょどうなってる????足の裏にチョーク点けて黒板の上で踊ってほしい。一生のお願いだ頼む。サビの「Make it hot tonight」のところが好きすぎてひれ伏す。伏した。

あと、ダンス中の表情がとても良い。くるくる変わる表情が魅力的で、本当に魅せる人だなあと思う。そんなにたくさんのものを見たことあるわけじゃないけど、あの人は絶対表現力が底なし沼。滝沢歌舞伎ZEROのMaybeが素晴らしかったそうなので絶対見る。あと女形も確実にやばいやつでしょ?円盤化……お願いします………

 

・愛すべき馬鹿

YouTubeのジャニーズJr.チャンネルでSnow Manを見てきてくれ!どれを見ても間違いはないが、とりあえずこれだ!以上!解散!(すのちゅーぶは佐久間沼への入り口。こんにちはどうぞ) 

 

・根性

佐久間くんの根性が好きだなあと思う。有吉ゼミで、目黒くんとともに激辛に挑戦した佐久間くん。めちゃくちゃしんどそうだったのに食べきったところですでにすごい男気を感じたんだけど、のちのち佐久間くんはちょっと前までは激辛が苦手だったと知ってもうなんなんだよ佐久間くん……。しかも、テレビではそんな素振りをまったく見せてなかったのもうなんなんだよ佐久間くん…………。絶対チャンスをモノにしようという思いが伝わってきて、じんと来た。フードファイト系の番組とかそんなに得意じゃなかったので、あんなに感動すると思わなかった。モンペ目線は多分に入っているけれど。

やるときにやる男すぎるでしょ。佐久間くんの未来、絶対絶対明るくあってほしい。

 

・チーム族、もとい、さくめめこじ

滝沢歌舞伎ZEROのメカ太鼓組であり、楽屋が一緒だった佐久間大介向井康二目黒蓮の3人組が好き。ちょっと見れば絶対と言っていいほどくっついてる3人。184cmの目黒くんと175cmの康二くんと168cmの佐久間くん。縦並びでぎゅってくっついてても全員ちゃんと顔が見えるんだ。すごいね。これまで男の子同士がベタベタしてるのとか、微塵も興味なかったんですけどね……さくめめこじのおかげで新しい扉を開かれてしまった感は否めない。一にかわいい、二にかわいい、三四にかわいい、五にかわいい。いつも癒しをありがとうございます。

そんなさくめめこじの何が好きかというと、さくめめこじの佐久間くんが好き。これはもうただただ都合のいい妄想なんですけど、もしかして佐久間くんは身体の接触というオタクの目にも見える形で新メンバーの受け入れ態勢を表現してくれてるのかなって。そうだとしたら、佐久間大介もうギッタギタに推すしかないじゃん?

とは言ってみるものの、そうじゃなくても良い。もっと言えば、たとえビジネス仲良しだったとしても別に良い。なんだって良い。だってかわいいは正義なんだもの。

 

 

 

・きっかけ

Sexy Zone LIVE TOUR 2019 PAGES」で初めて生で風磨くんを見たとき「黒船が来航した」と思った。これ以上にしっくりくる表現が今になっても思い浮かばない。江戸時代の皆さん……私のもとにも黒船が来ました……それは人の形をしていました……… 

そもそも私はSexy Zoneだったら聡ちゃん推しで、コンサートを見る前は誰のうちわを買えばいいんだ……と真剣に悩んでいたんだけど。終わる頃にはペンライトを迷いなく紫に染めている自分がいた。こえ~~~~よ菊池風磨。マジやべ~~~~よ菊池風磨

風磨くんのことを知ったのはいつだったか分からないけれど、聡ちゃんよりはずっと前だったと思う。「ふまけん」という概念が世に存在することは何となく知っていて、「シンメ=ふまけん」というイメージを、菊池風磨中島健人も、なんならSexy Zoneですらもよく知らないうちから何故か持っていた。

Sexy ZoneのQrzone」を聞くようになって、DVDを見て、CDを聞いて。徐々に風磨くんのことを知るようになった。イメージはジャニーズの中でも有数の「カーストが上位の男」。自分の見せ方があまりにもよく分かっていて、だからこそ何をどうしてもイケてて、それでもってちょっとエッチがすぎる。真っすぐから見るのがちょっと恥ずかしくなってしまうみたいな存在。すごい人だなとは思っていたし、気にはなっていたけれど、好きまでは至ってなかった。

そして迎えたSexy初現場、PAGESコン。始まる前は「聡ちゃんもいないし、全体を楽しめたらいいな」なんて思っていた。はずだったのに。気づいたら風磨くんのことを目で追っている自分がいた。極めつけはアンコール前最後の曲、「CRY」。風磨くんの「Go Love Yourself」を聞いた瞬間、あっ、どうしようと思った。その前何曲か風磨くんはおいしいパートを歌っていなくて、風磨くんのここ聞きたかったのにっていうのが溜まっていた。だから、そこへやってきた渾身の「Go Love Yourself」に完全にやられてしまった。それまで見てきたものが一回全部消え去ったぐらいの衝撃だった。それはそれはもうガツンガツンですよ。そこからは茫然自失の前後不覚で、おかげさまでアンコールの記憶はほぼ皆無。

そんなPAGESコンから早いもので1か月。行く前はこんな風になってしまうなんて想像していなかったけれど、今になっても風磨くんの歌に胸を焦がし続けている。怖い。このままだと風磨くんの生歌を聞くだけのためにでも、どこへだって何度だって飛んで行ってしまいそう。本当に怖い。

 

・歌

そもそも私はハスキーボイスや酒灼け声みたいな、一音出したときに複数の音が重なって響くタイプの声の人に目がない。前者はBiSHのアイナ・ジ・エンド、後者はチバユウスケ佐々木亮介。美しいというよりかは、強い歌声。

CDやDVDで風磨くんの歌を聞いていたときは、エッチな歌い方をするなあ、けしからんなあということばかりに気が向いていた。でも生で聞いてみたら、その声の響き方に夢中になってしまった。ハスキーとも酒灼けともまた違う、でも確かに強い、重なって響く歌声。かっちりと纏まっているわけでないからこそ、色々な色が出せるし、セクシーな味付けがよく映える。

それを知ってしまった今となっては、CDでもDVDでも十分にメロメロで辛い日々を送っている(むしろなんでPAGES行く前は気づかなかったんだろう………生で聞く前はそのセクシーさにただただ目がくらんでいたのだ…………)。あの曲好きだな、聞きたいな、と思うときは、大方その曲中の風磨くんのパートを求めているのだと最近気がついてしまった。「BAD BOYS」とか「ROCK THA TOWN」とか「ゼンゼンカンケイナイ」とか。私が求める風磨くんは、たいていバチバチの風磨くんである。バチバチの風磨くんから、しばらくは逃れられそうもない。

 

・セルフプロデュースと演出

それまでセルフプロデュース力の高いアイドルに対して、すごいなあとは思っても特別な好きを感じることはあまりなかった。「ステージ上での自分の見せ方が分かっている人」よりも「ステージ上で化ける人」が好きだと思っていたのだけど、そうばかりでもないと風磨くんに気づかされてしまった。

風磨くんのセルフプロデュースは、単純にかっこよく見せるというよりは、演出の一部である感が強い気がする。当たり前のことかもしれないけれど、風磨くんが見せる風磨くんは、風磨くんが作る世界にすごくフィットしている。

そして演出について。これまで風磨くんが作ってきたもののうち、私が見たことがあるものはとても限られているけれど、それでも風磨くんが作る世界が好きだと思う。PAGESコンやリペコン、ソロコンを見て、演出家・菊池風磨がどこにどういうこだわりを持って、何をどう表現しているのか知りたいと思った。なんていうか、風磨くんって絶対国語できるよね。風磨くんのせいでこれまでとこれからのSexy Zoneをもっとしっかり見てみたいという気持ちが強くなる。ア~~~~~~罪な男(最高)。

 

菊池風磨の女

菊池風磨の女は菊池風磨の女であることを否定しがちである、としばしば聞く。そもそも私は聡ちゃんを推しているという自負があるので、「菊池風磨の女なの?」と問われても否定すると思う。しかし、もし聡ちゃんへの思いが無かったとしたら?例えそうだとしても、同じことを聞かれたら同じように否定してしまうかもしれない、と思う。

PAGESコンを見る前まで、DVDやなんかでThe 菊池風磨な風磨くんを見ても、お~~~~やっとるやっとる、なんて暢気に思っていた。絶対好きになっちゃわないように無意識にリミッターをかけていたんだな、って今なら分かる。だって、風磨くんを好きになることって、なんとなく背徳の香りがする。分かってる。風磨くんが掛け値なしにかっこよくてかわいくて仕事ができる男だってことは。だけど(直接そうと意識したことはなかったけれど)、私は風磨くんを好きになるのは「イケナイこと」であるとなんとなく思っていた。多分。

風磨くんの良さを知ってしまった今、これまで無意識下にあったはずのリミッターの存在を強く感じるようになった。風磨くんの“らしい”エッチな見せ方→おもちみたいな笑顔のコンボを目にするたびに「ヤバい。好きになっちゃダメ。危ない」と私の心が騒ぎ出す。何が辛いってダメだと思えば思うほど、思いは加速していくんだよ………

好きになっちゃいけないと思わせてくるアイドルってなんなの???そう思ってしまう時点でもう夢中じゃん?!?!?!菊池風磨はヤバい(半ギレ)

 

 

  • お金にも時間にも限りがある「のに」ではなく「だからこそ」

DDオタクになる少し前の私は、オタクとしてのスタンスに悩んでいた。はっきり言ってしまえば、ちょっと疲れていた。CDが出たら全形態買う。自担が出ている雑誌を網羅する。毎週のテレビを録り溜める。全てを消化する時間はもちろんない。部屋の隅には、買ったはいいが読めていない雑誌がうずたかく積まれている状態だった。「全てを手元に残しておく」ということが、いつの間にか当たり前になっていた。当たり前になっていたばかりか、それが目的の全てになってしまっていた。いつのまにか「手元に残しておきたいから」残すのではなくて、「残さなきゃいけないから」残すになっていたように思う。趣味のはずなのに。好きなもののはずなのに。いつもなんとなく義務感の影を感じ、もやもやしていた。

そんな頃、「ホメチギリスト」のCDが発売になることを知った。重岡くんのことが多少気になり始めていた時期だったと思う。ジャニーズWESTのことはほとんど何も知らなかったが、B.A.D.のレコメン!木曜日はよく聞いていた。ラジオでだったかなんだったか、初めて聞いたホメチギリストがとても心に刺さった。MVを見てみたら可愛い7人のOLがキャッキャウフフしていて、それもまた刺さった。すぐに、買おう!と決めた。あのときの喜びは忘れられない。自分が良いと思うものを選び、それにお金をかけられるということへの高揚感。「趣味のものを買うのが楽しい!」という感情に久々に出会った気がして、本当はいつもこうあるのが理想なんじゃないかなとそのときにふと思った。

実は、ホメチギリストを買おうと決めたことは自分の中で少しだけ大きな決断だった。ジャニーズの沼に落ちようとするとき、私は「お金をかけて追いかけるのは関ジャニ∞だけにしよう。とりあえず今は」と決めていた。これまでの歴史は長いから、見なくちゃいけないものがたくさんある。そんな中他のグループにまで手を出し始めたら、きっとジャニーズに色々とつぎ込みすぎてしまう。もともと惚れっぽい性格だから、それぐらい制限しとかないときっと大変なことになる…と思って定めたマイルールだった。今思えばこのルールがもやもやの元凶だったような気もするが、私はそれを忠実に守った。趣味のお金=関ジャニ∞を追うためのお金になったといっても過言ではない。曲がりなりにも社会人でその程度の出費には耐えられたことも相まって、“欲しいものを選ぶ”ことを怠るようになっていった。

(ここまで書いておいて実はホメチギリスト初回盤Aは手に入れられなかったのだが、)ホメチギリスト発売を機に、私はマイルールを撤廃した。そうなってしまえば案の定、いいなと思う人はどんどん増える一方だ。その結果どうなったか。結論から言えば、私は今の自分のスタンスにとても満足している。単純に好きな人が増えれば楽しみなこともその分増えるけれど、良いことはそれだけじゃなかった。こうなる前は、時間にもお金にも限りがある「のに」、DDなんてとてもやってられないと思っていた。でも、実際は逆だった。追いかけたい人が増えたら、その人たちのもの全てを揃えるのはまあいくらなんでも無理だ。だから私は、自分が本当に欲しいと思うものを選ぶようになった。義務感からむやみやたらに何でも揃えるのではなくて、そのとき自分がそれにときめくかどうかで判断できるようになった。前は積読になるばかりだった雑誌も、今は買ったらすぐに読むことが多い。出費はちょっとだけ減ったし、お金をかけたものはちゃんと消化できている。そして何よりも、お金を使ったときに「私、良いもの買ったな!」と喜べることが嬉しい。時間にもお金にも限りがある。「だからこそ」、自分で自分のペースを自然にコントロールして、自分にとって良いものを味わって楽しめるようになった。時間にもお金にも限りがある。「だからこそ」、今この瞬間に心ときめくものを精一杯大事にしたい。

前述のように、私はDDの自分を認めたことはとても良いことだったと思っている。もちろん人によって趣味に求めるものも楽しみ方も違うから、押し付けるなんて野暮なことはしない。それにもしかしたら、いつか今の自分のスタンスを後悔する日が来るかもしれない。それでも私は、ちょっとだけ大きめの声で言ってみたい。

 

DDは最高!本当に本当だよ!

推し不在の現場に入った ~Sexy Zone LIVE TOUR 2019 PAGES~

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Sexy Zoneでは、聡ちゃんが好きだ。特に、ステージ上で化けるところが大好きだ。わたしが聡ちゃんのパフォーマンスに惚れたのは今年の2月にSexy鑑賞会を開いていただいたときだったので、その時点ですでに彼はお休みに入っていたのだけれど。

そして、それ以降Sexy Zoneの現場に入ってみたいな~と思っておりついに!去る5/4の夜公演@横浜アリーナに参戦してきた。幼いころに行っていたSMAPのコンサートを除けばGR8ESTに続く2回目のジャニーズのコンサート。初の生Sexy Zone

 

 

参戦前は、とりあえずうちわに書く文字が決まらない、参戦服が決まらない、うちわ買う?誰のうちわを!?と悩みに悩み。それでもなんとか(?)迎えたコンサート当日。会場周辺を歩くファンの参戦服を見てグループごとの文化の違いを感じながら(関ジャニ∞とは違ってカラーギャングが絶滅している)、横アリへ。グッズ列はほぼほぼ並ばず、すんなり中島さんのうちわとペンラを購入。いつか重岡大毅さんのうちわを手に入れたときにけんしげ♡ってしたさもあり、今回ケンティを召喚(いかにもオタクらしい理由)

 

ちなみに今回は立ち見席だったので、集合場所に集まる→整理番号順に列に並ぶ→入場→見やすそうな場所を探す、という経験もした(そもそも現場経験が少ないので、これに限らずなにもかも初体験同然)。実際に会場入りして最初の感想としては、いや普通にめっちゃ舞台近ェ~~~~~~~~~~~!!!!!!!という感じ(これに関しても、そもそも初アリーナなので何とも言えない)。始まって前の方々が立ち上がったら視界良好ではなかったものの、隙間を探せばよく見えた。アリーナすごい。

 

とりあえず今回のコンセプトとしては、推しという推しもいないし全体を見よう。セクシーをたっぷり浴びよう、というところでした。初めは。

 

 

それで本編なんですけど。いや~~~~~~~~~~~、ね。やられました。菊池風磨…………(全体を見る、とは?)

 

とにもかくにも風磨くんの歌に、ガツンとやられてしまった。特にアンコール前ラストのCRY。それまでは演出すごい、みんな顔がいい、思ってたよりMC面白いじゃん、これがふまけんか、エロ!エロです!とか、いろいろ思うところもあって忙しかったんだけど、CRYの風磨くんのせいでそれまでの記憶1回全部消し飛んだというか、なんというか全部の感情がいったん無になった。

CRYの前何曲かではおいしいパートを歌ってなかったり(記憶違いでなかったらゼンゼンカンケイナイの「その場しのぎで笑っていたくないWo e wo e o」とか、ROCK THA TOWNの「もっと弾けろ」とか)、他のパートでも少し温存した歌い方してるのかな?という感じだったりして、あ~~~ここ風磨くんガッときてほしかったな~~~~~~~っていう気持ちが溜まりに溜まっていたので余計に。CRYの「Go Love Yourself」でまんまと昇天してしまった。ありがとうございました。CRY後、アンコール~公演終了まではもうCRYの余韻でひとり横アリの亡霊と化してた………

 

何が刺さったんだろうとよくよく考えてみれば、風磨くんの歌声の、声の響きが1つでないところがとにかくツボ。もともと、ハスキーボイスとか酒灼けみたいな声とか、一音出した時に重なっていくつもの音が響く声の人が好き。前述のふたつとはまた違うんだけれども、風磨くんの歌声もそれに似たような深さがあった。

CDやDVDで聞いた時点でもそれは感じていたけど、それよりはエッチな味付けで歌う人だなあという印象が強かった。それが、生で聞いたらもうギャンギャンに痺れた。とはいえ、気づいたのはだいぶ後半だったわけだけど。生歌を聞いて一曲目ですぐにビビッときた!とかだったらもうちょっとドラマチックだったけど、人生そんなに上手くはいかない。

 

ケンティも思っていたよりも結構重なって響く声で、反対に勝利くんとマリウスはどちらかというとまとまっているタイプかなあ。安定感という視点では、マリウスがトップかも(?)

 

あとはダンス。拍に遅れないながらも時間をたっぷり使って踊れるの、とんでもなくセクシーだなと風磨くん見てて思った。身軽に踊る人が大好物で、これまでそういうタイプの人を追ったことはなかったから、自分としては新たな発見。キメは決めて、でもいつもいつもぴったりではなくて。ああやって踊れるの、すごい勇気というか才能というか。絶対分かっててやってるのな〜〜〜〜ズルいな〜〜〜〜〜〜菊池風磨〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

全体を通して言えば、「セクゾの現場は楽しい」「演出がすごい」との前評判を裏切らない、メチャクチャに楽しいコンサートだった。リペコンのDVDが大好きで、生はどんな感じかなあって期待していたんだけど、その期待をかる〜く超えてくるSexy Zone

 

登場は前からっていう固定観念(経験値の低さを露呈)を裏切る真ん中からの登場。街並みから出てくるんかなって思ってたわ。4点からそれぞれに登場して、徐々に集まっていく様、強すぎる。東西南北の化身か?そこからテンションがもう一気にマックスでした。黄色い歓声って本当に出るんですね……………

 

それから、映像の使い方が本当に上手。オープニング映像に始まり、全体を通してのPAGESのコンセプト映像、ゼンゼンカンケイナイ前のVTR。かっこいいとか面白いとかだけじゃなくて、それはもちろんあった上で全部次の演出のために必要な要素になっていた。コンサートを見ていて、ここってこの映像である必要あった?みたいな、いわゆる浮いてる映像があるとそこでいったん気分が小休止になってしまうことがある。PAGESコンはその対極で、あんな演出こんな演出が次々に!となって最初のテンションが最後まで途切れなかった。そう感じたのも、映像がコンサートのストーリーに乗っかっていたのが大きい気がする。オープニング映像のWANTED→カラクリだらけのテンダネスの演出でのテンションのブチ上がり方、きっとしばらく忘れない。

あと曲中での映像とのコラボも良かった。マリウスソロ、風磨くんソロ、ケンティソロも映像が目一杯活かされてる感じがたまらんかったな。紅白のカラクリだらけのテンダネスみたいなやつ(?)とか、Sexy Zoneの頭とかも(前が5人分の影でグッときた)…………挙げてくとキリがない。セクシーたち、心得てるな………マジで………

 

 

これまで現場に入ったことがなかったわたしが初めて見たSexy Zoneは、あまりにも強かった。エンターテイメントとしてすごく洗練されていて、非の打ちどころがなかった。「聡ちゃんが推し」なんて言っておきながら、もしもこれがSexy Zoneの完全な姿だよと言われたら納得してしまうぐらいには。推しもいないし、緩くでも楽しめたらなと思っていたのが恥ずかしくなるぐらいの衝撃だった。

でも、本当はそうじゃなくて。わたしにはまだ分からないけれど、きっと4人が5人分、それを超えるぐらいに磨いて磨いて見せてくれたのがあのPAGESコンだったんだろうな。

だからこそ、聡ちゃんが戻ってくるのがものすごく楽しみになった。ここに4人とはまた違う個性を持つ聡ちゃんが戻ってくる。前よりもきっともっと強い5人になるんだろうなと思うと、もはや空恐ろしさすら感じる。

令和の世で、間違いなく時代を創っていくであろう5人の姿を、わたしも追いかけてみたいと思った。

 

「殿、利息でござる!」を観た

映画「殿、利息でござる!」を観た後、その原作となった磯田道史 著「穀田屋従三郎」(『無私の日本人』所収)を読みました。監督は、「決算!忠臣蔵」(\よこちょ~~~~~/)の監督も務める中村義洋監督。

タイトルとキービジュアルからコメディを想像していたら、とっても人間ドラマでした。程よい熱さと抜け感のバランス。書籍化、映画化されるにあたり幾許かの脚色が加えられた可能性はあれど、大枠は史実に基づいているものだと思うと胸が熱くなるものがありました。実際、題材となった磯田氏の評伝と映画では、多少異なるところもありました。菅原屋篤平治のキャラクターとか。

わたしは穀田屋従三郎の息子、音右衛門(重岡大毅さん)目当てで観たわけですが、ま~~~~このキャラが良かった。出番は本当に少なくて、全部で10分あったかなあ?なかったかなあ?ぐらいだったけれど、しっかり音右衛門に泣かされました。

映画では、初めは家財道具や形見まで売って宿に尽くそうとする父親に反抗していた音右衛門。父やその仲間の思いに触れ、最後には父に相談なく自ら奉公に出る。奉公先に給料を前借りし、その銭を殿に貸し付けるお金の足しにしてくださいと父に文で頼むというこの、なみだなみだのシーンがあったわけですが。本読むと、音右衛門のキャラ全く違った!初めから宿を救おうとする父親に大賛成だった!(!)

映画版の音右衛門は映画製作スタッフの方々と重岡大毅さんとで作られたキャラクターだったんだなと思うと、映画版音右衛門への愛がより一層強まりました。良い役だったなあ、音右衛門。(あと、和装が相当お似合いなので重岡大毅さんはもっと歴史ものやってください)

夏には仙台に行く用事があるので、時間があれば吉岡宿のあったあたりに立ち寄れればなと思います。記念に穀田屋も一目見てみたい。

映画「少年たち」を観ました ~一期は夢よ ただ狂へ~

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往年のJr.ファンというわけではなく向井康二くん、ひいてはSnow Manが気になってるただのにわかなのですが、なんだかんだと2度映画「少年たち」を観ました。わたしはこれまで同じ映画を2度も観たことはなかったので、これが……ジャニーズエンターテイメント………!という感じ。

  

  

1回目

公開日にお邪魔してきました。前日にネットで席を観たらもうほとんど空いてなかったんですが、どうしても公開日に観たかったので前から3列目の席を取りました。映画館といえば後ろで見るのが常なので、スクリーンの威圧感がスゴイ。

 

映画の感想を一言でと言われたら

「マジで目が忙しい」
これに尽きました。スクリーンはデカイしカメラの切り替わりは速いし何より人数が多い!オタクの標準装備「自担追尾力」がこんなに試される場には未だかつて立ち会ったことがない。

わたしもジャニオタの端くれとして、一瞬たりとも逃さないように向井康二さんをロックオンしてました。これはジャニオタあるあるだと思うけど、どんなに切り替わりが速くても人が多くても前にいなくても服が同じでも、目はちゃんと自担を追ってるっていうアレ。

結果、他が全く見えませんでした。常時双眼鏡構えてる状態。これジャニーズに興味がない人からだとどう見えるのかなあ。団体芸に見えるんかなあ。

 

ところでなんだけど、黒房のスピンオフまだ〜〜〜〜〜〜???????って感じ。事なかれ主義のようでありながらなんだかんだ和やかに楽しくやってる感じにスキが止まらなかった……絶対あの人ら刑軽いでしょなにしたの(万引きはダメだよ……)

出番はそんなに多くなかったけれど、毎度クスッとさせられたし、突然のHappyはすごく爽やかでキュートで良かった。印象に残った2シーン(横山くんのマネする向井康二、将棋中の向井康二)がアドリブだったとパンフレットで知って嬉しくなった。特に横山くんのマネするシーンを観たときは、なんでか好きが溢れてその後しばらくぼんやりしてた。

でも、圧倒的に関西贔屓の女としては、黒房の活躍ぶりがもっと見たかったな〜という印象。東京ジュニアと関西ジュニアと集まって撮ったのは本当に数日だけだったってどこかで見た気がするけど、観てるときも少しそれを感じてしまった。やっぱり東京と関西の間には、結構高い壁があるのかな。

そうは言っても、やっぱり黒房観られて嬉しかった。

 

ストーリーに関しては引っかかるところがなかったわけじゃないけど、涙腺ガバガバなのでしっかり泣いた。

特に、ラストの奈良監獄でのショーのシーン。眩くて、感動してしまった。観ていてふと思い出したのは、閑吟集の小歌

「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」

(意味:何になるだろう、まじめくさってみたところで。どうせ、一生は夢だ。ただ狂えばいい)

 

川﨑皇輝くん演じる少年が、横山さん演じる中林に「お父さんがいたところが100年経ってこうなったんだね」と言うシーンが、冒頭とラストでたしか2回あったんだけど、そこは迷子になってしまった。

100年経って、というのはお父さんがいた時から数えて?奈良監獄が1908年に誕生してから数えて?2012年やら2017年やらと劇中でも表されていたし、普通に考えたら後者なのかなと思うんだけど。最後の「子供は大人になれるけど、大人は子供に戻ることはできない。だから時を止めて」というメッセージとなにか関係があるのか、などと深読みしてしまっている。

 

 

2回目(応援上映

応援上映を初体験。赤・青・白あるサイリウムの色が選べないと知ったときから「わたしは何房入りすることになるんだろう~~~?」ってすごくドキドキしていたんですが、映画館に着いたらなんと売り切れで、ショックでした。甘く見てた………

 

サイリウムが無かったのと、一人で行ったのでちょっと肩身の狭い思いをしましたが、前回観たときには全く気づかなかったところに気づけたり(シュンソクがあんなに走ってるって知らなかった)、この子人気なんだなって分かったりしたのが面白かったな。

やっぱり1人で観ていたらどうしても自担ばかりを追ってしまうから。それが、突然目がいっぱいになった!みたいな感覚だった。みんながそれぞれ自分の好きな人を追って、観たものを共有できる。DVDの鑑賞会とはまたちょっと違って、面白い経験ができました。

 

ただし、わたしは中林看守が死んだとは読み取ってないので、そのいじりに関してはう~~~んってなってしまった。やっぱり解釈違うことは、、、あるよね、、、、、

 

 

おわりに

少年たちの公開が発表になったころからかな?最近のJr.の一大ムーブメントはすごかった。ISLAND TVやshowroomでの配信が始まり、地上波で目にする機会も一気に増えた。ほんと、公開が発表になったときには出演者2人ぐらいしか知らなかったわたしも今なら全員フルネームで言える。なんなら書ける。すごい

少年たちがこのムーブメントのピークではなくて、通過点の1つであってほしいと、本当に勝手ながら願っています。

 

そして、向井康二くん。彼のアドリブを見て、ああ好きだなと思った。

初めて知ったのは、滝沢歌舞伎期。三宅健のラヂオ滝沢電波城で紹介されていたから。塩こうじよりも向井康二の自己紹介がすごくインパクトに残って、初めて覚えたJr.が彼でした。

そして、関ジュからSnow Manへ。ISLAND TVに登録するとき、特に推している人もいなかったから、心から応援したい彼を好きなアーティストに選びました。それから、なんとなく気にして見ていたのだけれど。

少年たちを観て、もっと色々な顔を見てみたい。ゆっくりのんびりと追いかけてみたいなあと思いました。

 

「溺れるナイフ」に溺れる

ああこれは。「あの頃」の話だ。

と思った。勝ち負けがつけられないものなのに負けたくないと思ったり、むやみやたらに叫び散らかしたくなったり。何かに対して虚勢を張り、何かを信じ、何かを怖れ、何かと戦い、何かに縋りたくなり、何かを探し、何かを諦めたような気持ちになり、それでも何かを求める。これは間違いなく中高生のあの頃の感覚だ。と思ったのだけれども。

よくよくその頃の自分を思い返してみればそれはまあ健全なもので、世界はいつも自分に対して優しいと思っていた。「この感覚は身に覚えがある。」と、確かにそう思ったけれど、それは自分自身が体感したことではなくて、多分あの頃触れていたものから得た感覚なのだろうなと思う。よく「青春特有の」という言葉で表現されるこのひりひりした感じ。わたしにとっては、例えば山田詠美や、嶽本野ばらや、壁井ユカコやなんか。

最近こういうひりひりしたの少ないよなあと思ったけれど、気づかないうちに私も少し大人になっていて、出会う機会が少なくなっていただけかもしれない。

 

 

考察(という名の殴り書き)

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  • 「ナイフ」は何を象徴しているのか

原作者の朝倉ジョージ曰く、「ナイフ」は「十代の自意識」であるとのこと。初めは、「ナイフ」が何を意味しているか分からなかった。しかし、その言葉を見て改めて考えてみると、中でもコウがナイフと重ね合わせて描かれていたのではないか、と感じた。

 

海に捨てられたナイフが沈んでいくシーンは、夏芽に「すまんの」と伝えながら沈んでいくコウのシーンにどうしても重なった。

 

 

  • アクセサリーと浮雲の神の守り

二度目の火祭りの日、夏芽はコウにもらったアクセサリーをつけている。しかし、最後のコウの舞のシーンでは、それはコウの右腕にある。夏芽が気を失ったあと、コウが夏芽の腕からそれを持って行ったことは間違いない。

 

初め、夏芽にそれを渡したとき、コウはそれが「お前のことを守ってくれるかもしれん」と言った。しかし、夏芽は遠くに行くべき存在である。そのため、浮雲の神の守りは夏芽に必要ない。必要ないというより、あってはならない。アクセサリーを自分の手元に戻したことで、浮雲の神の守りから夏芽を解き放ったと解釈できる気がする。

 

そして、コウは浮雲で神さんと共に生き続ける。そうすることによって夏芽を禍々しいものから遠ざける。自分が浮雲に存在し続ける限り、悪い出来事は全て浮雲に封印する。舞の中で、アクセサリーをつけた右腕を強く握るコウを見たとき、そんな決意が見えた気がした。(ナイフ=コウと見ることができるなら、コウがそこにいる限り禍は浮雲に残り続けると表現していると見ることができる)

 

 

  • わたしの神さん

夏芽にとってコウが神さんであったのと同様に、コウにとっても夏芽は神さんだったのではないか。白装束を着たコウが聞いた「殺せ」は、後の夏芽の言葉、コウにとっては神さんの言葉だったのではないか。

 

浮雲の神と生きる力を持つコウと、遠くに行ける力を持つ夏芽。特別な2人の間に自分が入ることはできないと大友は言う。夏芽とコウは、互いに全く逆の力を持つがゆえに強く惹かれあったのではないかと思う。

 

 

好きなシーンなど

  • 大友との映画の前夜、夏芽がペディキュアを塗るシーン

このシーンは、特に印象に残ったシーンだった。

 

物語の中で、コウは青、大友は赤で表現されている。一般に青には静、赤には動のイメージがあるが、確かにコウと大友にもそれぞれそのようなイメージが無くはない。

しかしそれ以上に、コウには"激しい"、大友には"穏やかな"イメージがある。そう思うと、コウが海、大友が椿で表現されているのが、とても相応しくて、そして美しく感じられる。

特に、大友の椿。わたしは赤といえば、炎や薔薇を連想する。例えば炎のような赤の人といえば、渋谷すばる。薔薇のような赤の人といえば、堂本光一。そんなイメージ。だけど、大友はそのどちらとも違う気がする。

赤い椿の花言葉は「理想の愛」「謙遜」「控えめな美点」「控えめな愛」そして「気取らない美しさ」。大友が忘れられず調べてみたら、より一層しんどくなった。

 

青で塗り始め、コウを思い出し、一本赤で塗る夏芽。それだけでも心にずっしりくるのに、さらにそれに気づく大友。「椿みたいじゃ」という大友…

 

 

  • コウとの最初のキスシーン

川縁で夏芽がコウに写真集を見せた後のキス。わたしももう良い大人なのに、初めて観たときは息をするのも忘れて見入ってしまった。

 

 

  • 大友とのキスシーン

これは、もう!本当にごちそうさまです!最初から最後まで恋で溢れた…特に離れた後の気まずげな表情から、笑う夏芽を見てホッとしたような笑顔に変わる大友に心を奪われてしまった………

 

前のコウのキスシーンにしても何にしても、ひとつの映画のキスシーンでこんなに何度も興奮することある?監督とは絶対絶対良い酒が飲めるな………

 

 

  • 「大友といると、明るい気持ちになれる」

物語を通してコウと大友は対比されている。「お前に何もしてやれん」と言うコウと、「頑張らせて」と言う大友。わたしは大友のモンペだから「もう!大友くんにしといてよ!頼むよ!」って何度となく思ったけれど、そういうことじゃないんだろうな。夏芽が神社で願った「普通の幸せ」は、大友が与えてくれるものとは違ったのだろうか

 

 

  • 夏芽が大友に別れを告げるシーン

「俺、遠距離でもええよお」「大好きじゃ」というまっすぐな思いも「コウか?」と気づいてしまうところも。切なくて胸が苦しくなった。大友、心から幸せになってほしい。だけどきっと、大友はわたしが願わなくたって幸せになれると思っている

 

 

 

【以下、2019.5.10加筆】

ここまでが、重岡大毅に完落ちする前のわたしが書いた文章なんですけど。当時のわたしよく冷静にストーリー追えてたな………

いま観たら、大友が出てくるたびに発狂する気しかしない。キスシーンなんて、人間の形を保ったまま見る自信がない。けど、重岡くんに対する感情が前とは変化したいま、もう一度改めて観たい。

 

溺れるナイフ」は、重岡大毅さんが気になり始めたわたしが最初に見た彼の出演作でした。この作品の登場人物誰もがそうだけど、大友は大友で。重岡大毅ではなくて。魂の乗っかったかのような演技に、素直に惹き込まれました。テレビ誌で重岡くん自身もターニングポイントと語っていたけれど、改めて大友、素晴らしかったなと思います。

 

多分、他の誰かが大友を演じていたとしても、きっと「ああ、この役重岡くんにやってほしかったな」って思う気がする。

熱くて、優しくて、少し不器用で、

真っ直ぐな男の子。そんな役を演じる重岡大毅さんが、わたしは一等好きです。

 

この映画を観たせいで、「葛藤する重岡大毅」が性癖になってしまいました!!!!とってもとってもありがとうございました!!!!!!!!!!

結局、マニアックは何を伝えたかったのか

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日時 2019/2/12 Tue 18:30

場所 新国立劇場 中劇場

主演 安田章大

 

まず初めにストーリーについて一言で述べておくとすると、まったくもって泣ける話ではなかった。大団円では「どういう感情を抱くのが正解か分からない」という困惑。だったのだけれども。幕が下り、ギターを片手に腰を低く落としながら歌う安田くんが幕前に一人残され、そして金と赤のテープが空を舞い、会場が暗転したとき、私はそれ以上ないぐらい完璧に泣いていた。

安田くんが、思っていたよりもずっと小さくて。いま舞台に立って、エネルギーをぶつけている。その身体のどこにそんな表現や思いやエネルギーが詰まっているんだろうと劇中何度も思わされた(特にメイと2人で歌うシーンではそれを強く感じ、そんなシーンでないのにも関わらず目頭が熱くなった)。そして、そのエネルギーの受け手の一人として、わたしがここに存在している。見に来られて良かった、出会えて良かったという、それ以外の感情がすっかり抜け落ちて。いま観終わったばかりの舞台の感想ですらすこんと抜け落ちてしまって参った。

観終わった直後は何も考えられなかったが、そこから幾分復活して、つたない記憶をなんとか呼び覚ましながら「あれは何だったのか?」「何を伝えたかったのだろう?」と思いを巡らせる日々を過ごしている。なんとなくまだ答え合わせはしたくなくて、自分の感じたマニアックを振り返るにとどめて。悶々としているけれども、余韻をたっぷり楽しむためにはまあ悪くないかなあなんて考えている。

 

「結局、マニアックは何を伝えたかったんだろう」

何日かかけてようやくたどり着いた私の答えは、「これってものを見つけたら気が狂うほど愛し抜け」だ。いやいや結局そこなの?みたいな感じで自分でも拍子抜けだけれども。

最初、「観客に新たな感情・感覚を与える」ことだけがマニアックの狙いだったのか?と思ってしまうぐらい、物語としての主題が見えづらかった。最後のアキラの赤のストラトを手にしての歌は、「一生は一度しかない。たとえ一人になろうとも、自分がまともだと思う道を選んで生きていく」といった感じ。「みんなに流されない。自分を信じることが大切」はたしてこれが主題だったのか?劇中を通じて考えてみても、diversityを語るために作られた作品であるとは言い難かったように思う。

 

ここで、キャッチコピー「これってものを見つけたら気が狂うほど愛し抜け」について考えてみる。これは矢猪院長の歌の一節であるが、彼の言う「これってもの」はあまりに異端に感じられ、まさにマニアックであった。だからこのキャッチコピーは、異端を愛する者の言い分だというイメージを自分の中のどこかで持っていた。それに対して、一度は救おうとしたメイが異端だと分かり退けるというアキラの選択、そして最後の歌は劇中の人の考え方の中では幾分まともに感じられた。このため観劇中は気付けなかったけれども、よくよく考えてみればアキラの最後の歌にも確かにこのキャッチコピーに通じるものがあったと思う。

「一生は一度きりだから、自分の信じた道を行く」と言われてもなんだか普遍的なものに感じられて、「ふぅんそうなんだ」というのが最初の感想だった。でも「これってものを見つけたら気が狂うほど愛し抜け」という文句を、アキラの考え方やラストの状況等々を考慮しつつアキラの言葉で「アキラの歌」という形にまとめるとあのようになるのだ、と考えるとなんだかしっくりくる。2人で生き残ったというある意味とてもドラマチックな状況に流されず、メイを異端だと判断して退ける。この選択こそがアキラにとって気が狂うほど愛し抜くべき「これってもの」だったのだろう。

ここで重要なのは、まともに見えたアキラにとっての「これってもの」も、違う切り口で見たとき、違う状況に置かれたときにもまともに見えるとは限らないということだと思う。実際、メイが「私のような奇病の人が増えれば、それが当たり前になる(=異端ではなくなる)」と言っていたのがよく記憶に残っている。メイの言葉の裏を返せば、現実社会で生きる観客からしてみればマニアックではないと感じられるアキラの思考も、必ずしもまともとは限らないということだ。「100%マニアックでないもの」なんて存在しない。メイの台詞はそれを暗に示していたのではないか。そして、それでもアキラは自分の思う道を選んだ。

 

では、なぜ最後の歌を聞いたときにすぐにその思考に至らなかったのか。なぜ、「何が何だか分からなかった」と感じたのか。アキラは全力で歌っているし、歌詞だって力強い。間違いなくラストシーンで、ある意味で神々しさすらあった(もちろん、金のオブジェに乗ったメイだとか、祭りのような雰囲気だとかは奇妙だったけれども)。なのになんだかすっきりせず、最後の歌を主題として認識できない。むしろ、「え?何?この歌」という違和感。この違和感の正体は、「アキラがストーリーの中でその歌に見合うような強い意志を見せ続けていたわけではない」というところから来ていたのではないか。

「メイを連れて逃げようとする」「院長に背こうとする」そんなアキラの姿が劇中を通して描かれていた。しかし結局彼がラストで選んだ道は、メイからも逃げること。そんなアキラに「自分の道を」と歌われたところで、説得力も、まして感動もない。例えばアキラが最初から最後まで自分の意志を貫く男だったとしたら、または初めは全く意志を持っていない男だったとしたら、きっと最後に受ける印象は変わっていただろう。

ラストシーンをあのように描くことで、観客に違和感を与える。間違いなく主題に沿っているにも関らず。「主題を描き切る」なのに「観客に疑念を抱かせる」。このパラドックスの両立こそが、マニアックの目指すところであり、挑戦だったとしたら?見事にしてやられた!と思わざるを得ない。

 

カーテンコール
カーテンコールは三回。一回目はキャストさんが順番に。トリ前に古田さんが、キャスト陣の間を縫って真ん中から。そして、そのあと同じように安田くんが真ん中から。古田さんが堂々と前を向いて歩いてきたのに対し、安田くんは左右のキャストににこにこと会釈をしながら出てきた。そこにもまた安田くんの人柄が表れてるのかなと感じた。軽く手を振りながら向かって左にはけ、最後に一礼。そして、拍手に応えて二度目。はけるときには古田さんになにやらチャーミングに笑いかけて。さらに三度目、最後の回は投げキッスから、腕をぐるっと回していたのが、よく記憶に残っている。そのあと、古田さんに向かって軽く手を合わせていた。
 


雑記(掻い摘んでちょこちょこ)
・思っていた以上に舞台を跳ね回っていた安田くん。歌声はもちろん、身軽かつダイナミックなダンスに魅せられた

・U.S.A風のダンスも

・とにかく声量がすごくて圧倒された。アキラもさることながら、婦長が圧巻だった。

・アコギを使っての歌が多かった。そんな中一曲あったスタンドマイクでの曲(I will rescue〜)も印象的だった。その際の衣装は赤いジャケット

・通路を活かした演出も

・頭を足にぴったりくっつけるまでお辞儀する記者とアキラ

・メイ(アイドルVer.)の歌唱中に、口を開けて左右に揺れるアキラ

・ビジュアルは黄色いレンズの眼鏡に、揺れないピアスをぱちぱちと。基本はオレンジのTシャツにつなぎの植木屋スタイル。

・転校を繰り返しており、通学路に咲く花が友達だった幼き日のアキラ。しかしまだ花は育てたことがない

・「犬塚アキラ」を観ながら、思った以上に「安田章大」を捉えている自分に驚いた。だけど今になるとアキラと安田くんがうまく繋がらなくて、それにも驚いている

 

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